人文科学
たまに記者のなかでとても文章表現力の高い人がいて、驚かされることがある。
ツイッターやってるとネット炎上をよく見かけます。
昨年はブログに目標設定をしてましたが、今年は目標とか持ってません。無くて良いと思っているからです。
よく、「失業しても最後のセーフティーネットとして生活保護があるじゃん」という言葉をネットで目にします。
1年くらい前にあるインターネットのECサイト作ってる会社の最終面接を受けたことがある。2時間も質問攻めにされ、私は落ちたのだ。
文系の文章である「俺ガイル」(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている)と、理系の文章である「僕は愛を証明しようと思う」の両方を、今私は読んでいる。
「私ばかりしゃべってしまってごめんね!」この言葉を言ってくれる人は、出来うる限り大切にしましょう。滅多にいない良い奴です。
久々にライブドアニュースの記事について自分の感想を述べます。
文学部が役に立たないとか頭大丈夫ですか?一番役に立つ学部なのに、何言ってるのって感じです。
最近、ブログで「養分ビジネス」をしている人がおり、少し落ち込んでいます。
前にこの記事で、日本はすでに先進国ではなく中進国になってしまったと書きました。
この前、障害者の経済学という本を読んだ。そこそこおもしろかった。
先日、ツイッターである知力の高い人が「日本はもうすぐ終わる。南米のコロンビアみたいな国になる。」とツイートされていました。
人間は窮地に追い込まれると勝手に努力する生き物です。たとえば、18歳までダラダラ生きていても、就職すると人が変わったように働き始めます。
ツイッターぼけーっと見てて思ったことを書いてみます。
5年くらい前に鬼の岩波文庫が出版した「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読みました。読んだあと半年くらいは内容を覚えていました。
最近のニュースで歩きスマホしている人が引ったくりに遭(あ)ったり、タックルされて怪我をさせられる事件が多発しています。
ネットのインタビュー記事とか失敗経験のルポタージュ記事とかを読んでいると、一つの法則性があることに気づきます。
最近、インターネットで自分の怒りを抑えられず、「絶対に許すな」という言葉を使う人がいます。あれは日本語に訳すと「私は愚かです」と言っていることと同じです。
前に東大首席合格者の佐藤寛司くんの記事を読んでいたとき、気づいたことが1つあります。それは、彼が大学生になるまで親にスマホを持たせてもらえなかったことです。
フリーランスになって働いてて気づくことは、精神的なストレスが溜まらないことです。よって、ハゲたりすることがありません。
世の中の95%はお金です。残り5%は人の心です。
心理学の本を読むと、人間の脳(地頭)は遺伝で決まっていることが分かります。そのため、努力しても偏差値がある一定の閾(しきい)値以上に上がることはありません。
「できないじゃない。やるんだよ!!」この言葉は、以前働いていた職場の上司が私におっしゃった言葉です。一見するとブラック企業でよく使われそうな言葉です。
2つ前の会社での私の実績は、3年間企業ホームページを運用してアクセス数を70%増やしたことだった。前の会社での成果は、自分一人でサイトを開設して、コンテンツを作れたことだった。
50代以降の日本の超絶おっさんがよくコラムで書いてる扇動論、「いまこそ日本は立ち上がらなければいけなーい!!」とか、どうでもいいです。立ち上がろうと、立ち上がらなかろうと、どうでもいいです。
ツイッター読んでると今の10代20代前半の若い人ほど、「もうこの国で生きていくのは無理だ。もう駄目だーッ!!」という嘆きのツイートをよく見かけます。
文体とは何か?それは「文章スタイル」のことである。
私は、AKBの未成年の女の子の肌を触らせる替わりにCDを買えという、おっさんプロデューサーの作った仕組みが完全に下品で、醜いものだと思っています。
前にぼんやりと哲学して、何もないところから論理を組み上げていたことがあります。だらだらとツイッターを眺めていたら、「残された最後の既得権益職業が医者だ」というツイートがあり、なるほどなと思いました。