障害者新聞

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【文系と理系】俺ガイルと僕は愛を証明しようと思うの文学性について

文系の文章である「俺ガイル」(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている)と、理系の文章である「僕は愛を証明しようと思う」の両方を、今私は読んでいる。


☆☆☆


この二つは、ほんとうに両極端な小説だと思う。


俺ガイルは日本最高のライトノベルであり、純文学を凌駕する唯一のライトノベルである。ぶっちぎりであり、別格の文章表現力である。


どういう文なのかというと、「文系の文学」と形容することができる。つまり、季節の移り変わりや、人と人が触れ合う心の温かさやぬくもり。


ほんの小さな仕草による目線の動きや、ほのかな場の雰囲気の変化、論理化できない抽象的な人と人との信頼関係。


街並みの華やかさや穏やかさ。肌を撫でる風の冷たさ。マンションの豪奢な作りや、ワインを飲むときの喉の音韻から美味しそうに飲む表情まで文学の世界であり、文章表現力の世界なのである。


これを私は文系の文学と呼んでいる。


文系の文学は、文章に実用性は全くない。ただただ日本語を磨き上げ、研鑽を積み、その日本語の文を読むことで楽しむエンターテイメント性(娯楽性)に特化した文章である。


夏目漱石の本を読むと心が豊かになったり、感受性や洞察力が上昇したりするけど、プログラミングができるようになったり、速く走れるようになったり、釣りが上手になったりはしない。


文系の文学はあくまでも文章表現力を学んでいるのだ。実学的な価値は一切ないと言える。

唯一実用性があるとしたら、文章力を高めることができるくらいである。


これに対して藤沢数希さんの小説「僕は愛を証明しようと思う」は、こてこての「理系の文学」である。実用性ありきで書かれた小説と言っていい。


この小説の目的は最短時間で合理的、効率的に、無駄なく女性を口説き落とし、セックスまで持っていく最短ルートを説明した実用書である。

文章表現力とか、ほとんど存在しない。


使っているのは応用心理学の一分野である、社会心理学と臨床心理学を使った、会話のテクニックである。(これを書籍内では恋愛工学と呼んでいます)。


これらの論理性(テクノロジー)によって論理的、効率的に、もっとも短時間で女性の股を開かせるという、メチャクチャな小説である。


要するに、実学書であり実用書であり、科学技術の指南書なのである。

恋愛を確率論で語るため、こういう時はこう口説けという論理パターンの全パターンを、読者に掲示しているのだ。


建前もへったくれも厳かさも表現力も微塵もない。ただただ実用書であり、実学の書籍なのである。


私はどっちも好きです。文系の文学はそれ単体では役に立たないため、小説を読むのは娯楽と割り切っています。


理系の文学は、実用書のため、使う或いは興味のある論理性が載っている書籍を購入し、精読し、実際の社会生活上で使用することが多いです。


この差のため、本来は文系がいいか理系がいいかではなく、どちらも性質と方向性の異なる分野である。というのが、私の所感です。


当然実用書のほうが社会に出て役立つため、社会に役立つ学問を勉強している(理系は会社に入っても研究者やエンジニアとして、大学で習った技術がそのまま役立つ)、理系のほうが、就職に有利なのは当たり前です。


本来ならば表現力を学ぶ文学部は表現力に特化して替えの利かない人材まで到達し、書いた文章が売れるレベルまで文章力を磨き上げなければいけません。


だから本来は、文系学部のほうが一生懸命勉強しなければいけないのです。


そんなことを考えながら、両方とも面白い本のためどちらも読んでいます。


つまり、私は雑食の読書馬鹿であり、本の虫なんだろうなと最近薄々気づいています。


自分に対してそんな印象を考察させる、両書籍なのでした。