たまに記者のなかでとても文章表現力の高い人がいて、驚かされることがある。
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役に立つニュースや知識の報道ではなく、たくさんの小説を読み込んできたことが窺(うかが)える、そんな文章を紡ぐ記者がいるのだ。
要するに通常のニュースサイトの文章は実学的・社会科学的な文章であり、経済学や社会学の論理を組んだ文章を書くのだが、たまに記者のなかで明らかに文学部畑出身と言えるようなウェットを含んだ、綺麗な文章表現力の人間がいるのだ。
この前、コインチェックのハッキング事件で、ハッキングのあった日の午後8時15分に、コインチェック本社で起きた状況描写を端的に描いて記事にした記者がいた。
洞察力に満ちあふれた、そういう文章を書いていたのだ。
人文科学的な情理を多く含んだ小説チックな文章である。それをここに少し抜粋する。
【渋谷のコインチェックが入居するビルでは】
”コインチェックのオフィスが入る渋谷駅近くのビルの前には10人ほどが集まっていた。
報道陣のほか個人投資家なのか、手ぶらで来ているグループもいた。オフィスのある3Fを訪れ、中から出てきた人にコメントを求めると「公式発表をお待ちください」を繰り返すのみ。
しばらくオフィス前にいると、一度ドアが開いたが、また閉じられてしまった。待っていると再びドアが開いて「あ、まだいる」。バタンとドアを閉められた。中からはドッと笑い声が響いた。”
…昨今、文学部は役に立たない。
とか、就職難だとか言われているが、こういう質の高い日本語は、それ単体で売れるのである。
状況描写が極めて上手く、ただ日本語を読んでいるだけで何が起きているのか?コインチェックを運営している企業の社員たちはどんな人たちなのか?
が、ただの活字を追うだけですぐに分かってしまうのだ。これが文系の(ていうか文学部の)文章というものである。
たくさんの小説を読むことによって「売れる文章」まで自分の文章力を昇華させていくのだ。
極めてたくさん文章を読み込まなければ、ここまではたどり着けない。
理系のようにプログラムの参考書を3冊程度、1,500ページ程度読んでそれで自分でソフトを開発してしまうことよりも、実は文系のほうが一人前になるまでに多くの勉強時間を必要とするのだ。
日本語は日本人なら誰だって書ける。
だからライターは、単価がとても安い職業だ。小説家や漫画家や純文学の作家も同じ日本語書きだが、その勉強量は異常なのである。
並大抵の勉強時間では理系程度の勉強時間ではここまでたどり着くことはできない。
これは、ウェットを含みながらも状況描写からまるで自分がコインチェックの本社前に立っているような気にさせられるほどの高い文章力だ。
たくさん勉強しないと、ここまではたどり着けない。
収入と直結させるほど文系スキルを磨き上げるならば、大学に行く暇がないほど、ひたすら一生懸命になって勉強する必要がある。
もしくは大学で4年間缶詰になって猛勉強をする必要がある。
社会に役立つ文系の洞察力と突出した日本語文章作成能力。それは並大抵の努力では修得できるものではない。研鑽が必要なのだ。
自分の日本語を磨きに磨き上げるためにひたすら努力してやっとこの領域、売れる文章、人々を魅了させうる文章まで、文章力を昇華させることができるのだ。
ここまでくれば文系でもいくらでも食べていくことができる。
なぜなら、腹が減ったら文章を書けば良いだけだからである。高い文章力なら書いたものがそのまま売れるからだ。
漫画のなかで親友が困っていたときルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、食事後の口を拭くナプキンに新曲をその場で作曲し、これを売るといい。お金には困らないだろう。
と言ったシーンを私はいまでも覚えている。
スペシャリストはいつもぶっちぎりだけど、そこまでたどり着くには、滅茶苦茶な努力が必要なのだ!