障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

人生経験豊富な人は読書家を文章力で凌駕する!!

この前、障害者の経済学という本を読んだ。

そこそこおもしろかった。


☆☆☆


著者は慶応大学の教授であり、巻末に参考文献が50冊くらい載っていた。


これほど勉強して1冊の本を執筆されているのか!と感動を覚えたほどだった。


だけど、文章力はさほど高くなかった。特に文体(文章スタイル)が問題で

  • 障害者は頑張っているらしい
  • 特定子会社制度なら障害者の雇用を増やせるかもしれない
  • 養護学校の先生は面倒見がいいそうだ

なのである。

頑張っているらしい。「~~らしい」なのだ。面倒見がいい。ではなく、「面倒見がいいそうだ」なのである。


あくまでも人から聞いた文章であり、自分は己の人生における重責を一切この文章には持たないと言っている様なもので、軽薄で軽いのである。


読書という行為は頭に文章を入れる行為である。たくさんの文章表現力を頭に入れておくと人の気持ちが理解できたり、その人がなんで悲しんでいるのかなぜ怒っているのかが理解できたりして、感受性が高くなる。


相手の気持ちを分かろうとする思慮や配慮の感情、つまりは「思いやり」を取得できるのである。


だけどね、あくまで読書は頭に情報を「入れる」行為なんです。外に出す行為ではないのです。


野口英世の母、野口シカは文章の読み書きの出来ない学のない人でした。日本人なのに義務教育のない時代だったから、日本語が読めずそして書けなかったのです。


だけど、息子である英世がアメリカに行ってしまいずっと帰ってこないその寂しさから、国語を勉強し、最低限の語彙で野口英世に手紙を送りました。

「はやく帰ってきてくだされ。はやく着てくだされ」

「来る日を教せてくだされ」

と、その手紙は、たどたどしい日本語なのに、超人的な文章力で執筆されていました。


その文章があまりにも素晴らしかったことから、野口英世はすぐに日本に帰省し、母に会いに行ったという事実があります。


もう伝記を読んで10年以上になるから忘れちゃったけど、野口シカに日本語を教えた学校の先生はシカの手紙を読み、ぽろぽろと涙をこぼしました。それほどの凄まじい文章表現力だったのです。


文章力とは頭のなかにある語彙(単語)を最適な配列で組み合わせて、文を組み上げ、執筆する能力のことです。


だから、頭のなかに語彙がなければ、私たちは文章を書くことができません。


フランス語を知らない人はフランス語で手紙を書けませんし、英語を知らない人は、英語で電子メールを書くことはできません。


ここに暗記の重要性があるのですが、文章力となると話は違ってくるのです。


文章力は頭の中にある単語をどう組み合わせるか、単語を知っているかではなく、組み合わせる力が文章力なのです。


人生経験が豊富で辛いこと、楽しかったこと、嬉しかった出来事をもつ人は、この組み合わせる技術に秀でているのです。


数少ない語彙であってもそれを組み合わせる技術さえあれば、いくらでも文章力は高められます。だから、野口シカの文章力はぶっちぎりだったのです。


日本の文系学部の社会人入試において小論文試験や志望動機(の書かれた文章)が重視されるのは、その人の人生経験と文章力を見ているためです。


たくさんの人生経験を持つ人は、必然的に読書家を上回るほどの文章力を有している素質があると言えます。あとは書く勉強さえすれば、メキメキと文章力を高めることが出来ます。


人生経験豊富な人は、読書家を凌駕する作家になれる可能性を秘めているのです。