障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

【AKB商法】自己利益の追求のために他者を不幸にすることを哲学とは言わない。

私は、AKBの未成年の女の子の肌を触らせる替わりにCDを買えという、おっさんプロデューサーの作った仕組みが完全に下品で、醜いものだと思っています。


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で、アイドルも賃金が毎年減少し、AKBの月給が研修生だと月4万円ですので、アイドルになったというだけでは、もう生活していけない状況に追い込まれました。


おっさん(仕組みを作ったプロデューサー)だけが儲かる労働環境なんです。


そこでNMB48の須藤凛々花さんが週刊誌に熱愛交際の追い込みを掛けられていたこともあり、自己利益の最大化のために他者不幸の最大化という仕組みを作りました。


AKBの選抜総選挙というもっとも視聴される知名度が極めて上昇する既存体制の舞台において結婚宣言することで、ファンの不幸の最大化とともに自己利益の最大化を図ったのです。


この驚異的な営業力と炎上マーケティングによって、須藤さんの本、「人生を危険にさらせ!」はAmazonでベストセラー1位になり、彼女はやっと生計を立てられる収入を確保できたのです。


須藤さんはこの炎上マーケティングを「哲学」と呼んでいますが、残念ながら他者不幸の最大化を自己利益の最大化に繋げる行為を哲学とは呼びません。


哲学とは己の内部破壊のための学問であり、己の内で思考する学問です。


己に鉄の楔(くさび)を打ち込み、自己を統制し、自分を制御し、抑圧することによって、突き詰めて内部から思考する学問です。


カントもニーチェヘーゲルも他者不幸の最大化を、ファンの不幸の最大化を自分の本の売上高の最大化につなげるようなことはしていません。


常識をぶっ壊す非常識な悪意と、(私はそれのすべてを悪だと思っていない)、自己を自戒し、厳しい状況に身を置くことで真理に到達する学問は、異なるのです。

そもそも大学で哲学研究はできても、哲学することはできません。


両目を失明したり、片足がなかったりと困難な状況に追い込まれると、人は思考せざるを得なくなります。


どう生きるのか、この困難な状況で、どのように生きたらいいのか?難解な人生であればあるほど、人間哲学の思考は深まります。


既存の社会システムからもっとも利益の旨味の汁の生まれる総選挙の生中継で炎上マーケティングを行うことで、己の自己利益の最大化(あらかじめ執筆しておいた本を炎上直後に発売させ馬鹿売れさせる行為)を図ることは、哲学とは言いません。


自己利益の最大化が哲学とか、それはただの「ごくつぶし」です。


ただ、彼女をそこまで追い込んだ社会が一番の問題であり、他者不幸の最大化が自己利益の最大化を常としている週刊誌は滅ぶべきです。


一束いくらのアイドルというもっとも生活困窮者を報道で追い込み、プライバシーを破壊する行為がなぜ、基本的人権の尊重に反しているのに、社会問題とならないのでしょうか。


他者不幸の最大化を自己利益の最大化とする人間は、決まって「自己責任」「騙されたやつが悪い」と言います。だから識別可能です。

でも、哲学者はそんな言葉を使いません。


己の内部破壊に夢中であり、困難な社会をどう生き延びるのかに思考が夢中のため、他者に対して自己の失敗を自己責任で私に騙されるお前が悪いとは言いません。


むしろ、他者になんか興味がありません。自己の内部での思考実験に忙しいためです。


識別は付くため、「自己責任」とか言っている人は、信頼しなければいいだけです。


日本人全員がアホになっているため、誰の責任でもなく、私は日本人になんか別に興味がないため、どうでもいい。実に、実にどうでもいい話だと思ってます。


須藤さんはいまでは謝罪ばかりしていますが、彼女をここまで追い込んだ社会にも責任の一端は確実にあります。


大らかな社会とは異なる、日本は実に生きにくい、貧乏人の跋扈(ばっこ)する社会になったものです。


それでも、世界で一番生活しやすい楽しい国だと私は思っています。

他者批判とか興味がないため、しません。