文系の人ってよく感情に訴えますよね。
しかも科学的なデータを採取せず、自分というたった一人の人生経験のなかで、人生に無駄な時間はなかった。
とか言っちゃいますよね。
☆☆☆
これってすごく害悪だなと思ってます。人に対して不誠実ですし、失礼です。
いま国立がん研究センターのセンター長の執筆したがんの本を読んでます。
タイトル知りたい方もいるかもしれないので書いておきます。
「科学的根拠に基づく最新がん予防法」
って本です。
この本の感想は読了後にこのブログに執筆します。そのため、この記事に感想を書いたりはしません。
だけど国立がん研究センターが研究成果について表明する際、たとえばタバコが発がんリスクを高めることを伝えるために、彼らがどんだけ金掛けて
科学的根拠に基づく研究データを疫学の知見から採取しているのか?
きちんと統計学の最高理論であるランダム化比較試験まで行って1,000人1万人と投薬し、実験し、誰にとっても使える抗がん剤、誰が使っても効果のある治療法を見つけるのに、どんだけの知力を振り絞っているのか?
たかだか一人の人生経験ではなく何万人って投薬して薬が日本人全員に効くかどうかを、疫学だから実際の人間の体を使って実験して、そこで統計的に有意な(社会のお役に立てる)と分かったときだけ声明を発表している。
ただの個人の想いや感想じゃないんです。きちんと研究データが取れたからタバコは発がんリスクが高まる。と断言しているんです。
科学的根拠に基づく有意なデータが取れたときにのみ、責任のある責任を取れる声明を発表しているんです。
医学においてはやっぱり間違いだった。じゃ許されないんだよ。感覚や直感じゃなく論理なの。
誰が投薬してもガンに効果のある薬を生み出すために、私の体には効果がありました。
ではなく、たゆまぬ努力を繰り返し、知力を振り絞って、何万人って患者で試して社会のお役に立てる。
と分かったときだけ病院で使えるようにしているんです。
それと比べると文系の人間がよく言う、人生に無駄な経験なんて何一つなかった。
とかいう、たった一人の個体の自分の人生経験や経験則は実に陳腐でくだらないなと、多くの人のお役に立てる知見まで昇華させていないなと実感します。
しかも同じことを他人が真似してうまく行かなかったとしても責任をとりませんよね。
医者はそれが責任問題まで発展するんです。私にはこの抗がん剤は効かなかった。じゃ済まされないんです。
だから責任を取るんです。
一つの新薬を開発するのにどれだけの知力を振り絞っていることか。
文系の人間は責任を取りませんよね。
俺はこの参考書で司法試験を受かった。だけど、お前が受からなかったのはお前の自己責任。
とか言いますよね。くっだらないです。理系は責任を取るんだよ。
そこに知力の格差があるなと思います。論理性と思いつきの差です。
で、教育経済学も誰が使っても学力が高められる教育方法を見つけ出すために、やっぱり統計学最高のデータ取得方法であるランダム化比較試験を使ってデータを採取し、研究データを収集しています。
新薬の開発から最適な教育方法の開発まですべて統計データ(科学的なデータ)を使って分析し、社会のお役に立てています。
そこで分かることなんですが、人間の人生には無駄な努力が死ぬほど沢山あることに気づきます。
教育経済学の論文読んでるとそれが実感できてしまうのです。
教育経済学的には、人間は生まれながらに不平等にできている。ことがすでに分かっています。
同じ1時間国語や数学を学習させその後テストしても、テストの点数は全員バラバラです。
数学が得意な子は1時間どころか30分も勉強するだけですぐに理解できてしまいます。
だけど私のように馬鹿な人間は同じ問題を2時間3時間と勉強しても解けません。
しかし私は文学であれば無敵です。
数学は0点でも国語だったら80点くらい取れるし、なにより文章を執筆させれば100点を狙うことだってできます。
人間は生まれながらの遺伝によってノーベル賞穫れる頭脳があるかどうか、オリンピックで金メダルを取れる体格に生まれてくるかどうかが既に決まっています。
また、生まれた後すぐが学習効果が一番高いため、生まれたあとすぐ3歳児程度から勉強をさせてしまえば、何ヵ国語だって話せるようになるし
(英才教育ほど金になるものはないことを金持ちの親は知っているから、金持ちは金持ちを大量生産し、
生活保護の親は生活保護者や低所得者を大量生産するデータが取れている。これを情報格差と言う)
記憶力の高い幼少期のほうが同じ1時間でも学習効果が極めて高いことが、教育経済学の研究データから既に分かっている事実です。
つまりそれって子供の頃に詰め込み教育しないで外で遊ばせておくとか思いっきり人生の無駄なんですよね。
大人になって学習効果が低下したあと遊ぶのなら別に良いけど、親と話しているだけで日本語を覚えてしまえるほど怖ろしいほどに記憶力の高い、IQすら高められる
幼少期だけは勉強漬けにさせてしまったほうが、年取った後ではもう高められない頭脳のスペックを幼少期には高められるのだから
その時期に遊ばせていたら思いっきり無駄な時間になってしまうことくらい教育経済学の理論を知ってて、それを論理的に思考すれば誰だって分かるはずなのです。
よって瞬間的に人生には無駄な時間がたくさんあることや、脳のスペックが決定付けられてしまい偏差値が確定したあとの努力とかほぼ無意味なのに
文系の人間はそういう理論も論理性も科学的データも知らずに、思いつきで嘘っぱちばっかり話すため、私はまったく信頼していません。
自分はツイッターでマイニュースジャパンの編集長をフォローしてるんだけど、このツイート↓見て、ああこれマジだよなあ。
と思いました。
■これ
年取ってみると分かるけど、がんばれば夢はかなう。って叶うわきゃねーだろとね。
その子に才能があれば夢は叶うよ。
でも才能がなければ叶わない。ただそれだけなんですよね。
マスコミはアホだから成功者しか報道しないけど、社会では失敗者のほうが圧倒的に多いわけです。
ていうか、サラリーマンなんて全員夢を諦めたから誰にでもなれるサラリーマンになってるって、なんでわからないんですかね。
社会の本質はこれだよ。
■これ
出典:渡邉さんのツイート(https://twitter.com/masa_mynews/status/1077057303164071936)
人生には無駄な努力がたくさんあって、自分が勉強の才能がないのに勉強なんかしたって無意味なんです。
なぜなら負けるから。
負けたら大学に入れないどころか自営業の場合、売上高0円で終わるからです。
採用試験の場合、負けたら不採用であり、無職が確定してしまいます。
あなたが入社できたってことは、あなたを採用することで落とされた人がいるわけです。
資本主義は勝たなければ意味がありません。
適度に勝たなければリストラされたり無職になったり収入が0円になるのです。
だから早急に得意なこと競争相手に勝てること、もっと厳密に言うと自分の才能をできる限り早く見つけなければいけない。
人生ゲームってそういうものです。この世界のルールはこれですよ。
10代20代のすべての時間を使ってでも勝てる才能、食べていける才能を見つけ出す必要がある。
これが社会の本質だわな。と38歳にして自分も感じています。
自分も偏差値46だったけど、もっと早く書く才能があることに気づけばよかったと未だに後悔してます。
勉強に無駄な努力ばかりしてきたためです。
勉強以外に才能があったのに、いくらでも書ける、アクセス数を増やし続けられるという学校のテストでは測ることのできない才能があったのに、勉強なんかしてしまい遠回りしてしまった。
資格試験を15個だか17個も取得し、無意味な努力をしてしまった。
すごく無駄な努力だった。
世の中なんてたった一つの才能を伸ばせばいいだけなのに、自分の才能を見つけ出す努力を誰もしないんだよね。
幾つか転職していろんな職業を経験しないと
「これだ!俺はこれを生業にするために生まれてきたんだ!」
って仕事(スキル)が見つからないのだ。
だから誰にでもできるコンビニ店員とか警備員とかサラリーマンになってしまい、あなたの替えはいくらでもいるんですよ。
とか酷いこと言われて、競争相手がいっぱい居て、いつまで経っても勝つことができずに、そのため所得が増えないんです。
障害者もそう。とりあえず勝ちなよ。
勝つための才能を見つけるために色んなことやってみなよ。
って思うんですけどねー。
で、毎日同じ単純作業を繰り返してるとあっという間に1年が終わってしまい、あっという間に人生が終わってしまうわけです。
この国は人と違うことするとすごく批判されるし、何度も職を変えると飽きっぽい奴だと批判され、お給料減らされるし
散々だけど、リスク取らないと自分の才能を見つけ出すことすらできずに無駄な努力ばかりして時間を消耗させ、
いつの間にか自分にどんな才能があったのかすら分からず、人生を終えてしまうんです。
私はそれが嫌だった。すごくすごく嫌だった。
たとえ無収入になったとしても自分の才能を見つけ出したかった。
だからブロガーになったわけです。
たぶんこれを一生続けていく職業にすると思いますね。みなさんも人生は無駄な努力ばかりですので、早めに才能を見つけましょう。
で、勝てる才能を見つけ大量に勝ちましょう。勝って沢山納税しましょう。最近の私はそう思っています。