教育経済学の本「学力の経済学(著者:中室牧子さん」を読んだため、感想をしたためておきます。
☆☆☆
すでに2本執筆しましたが、あと1-2本記事を書こうと考えています。
本を執筆するには特に研究論文であれば1年とか2年掛かります。
膨大な情報を集め論理性を見つけ、誰にでも役立つ規則性まで昇華させ、文章を執筆しているためです。
私はこの本を1週間で読み終えました。
つまり私は著者の1年という情報を1週間で食べたのです。人間は読書することで永遠に生きることができます。
年間100冊読めば著者100年の人生が1年で自分の頭に入ります。10年で私は1000年生きたことになります。
アメリカの研究論文において読書が最も子供の学力を高めるのに効果的だった。
というかなり信じられない科学的データがこの本のなかにありますが、自分の主観としては信じられないのだけど、
因果関係としては本好きの人は、教養や学問に対して知的好奇心が高まるのだと思います。
いまの私が勉強好きで教科書とか読むのを好んでいるのはその前に、高校を卒業して以降、かなりたくさんの本を読んできたからなのかもしれません。
個人的に読書ごときで学力が上がるとはまるで思っていませんが、科学的データで立証されてるため仕方ありません。
いずれにしろこの本の感想をここにしたためますが、すべての項の感想を書くつもりはありません。
一人の人間が1年掛けて作った本の内容をブロガーがすべて要約することは、技術的には可能だけど、それは著者に対してすごく失礼なことだからです。
全体の1割か2割の感想に留めます。
もっと読みたい方は「学力の経済学」を買って読んでください。
ということで今日のテーマは教育経済学者である著者が疑問に思っていることについてです。
この本の冒頭に、教育評論家がテレビで垂れ流している子供の学力を高めるためには
- ご褒美で釣ってはいけない。
- 褒めて育てたほうが子供の学力は伸びる。
- ゲームをすると暴力的になる。
という意見はすべて間違いだ。
と書かれています。
なぜ、著者である教育経済学者は子育てをしたこともないのに、間違いだと断言できるのでしょうか。
その理由は何万何十万という子供の学力と教育における科学的なデータから、上記の意見は何の根拠もないただの個人の意見だからだ。と説きます。
巷には他人の成功体験の本が溢れています。
たとえば
- 東大生の作った勉強法マニュアル
- 東大生の子供を3人育てた勉強法
- 頭が良くなる30の法則
それらはすべて個人の意見であり、体験記であり、子供は一人ひとりの個体で能力値が全くといっていいほど異なっているのです。
足の早い子もいますし、背の高い子も低い子もいます。太った子もいるし痩せた子もいる。
記憶力の高い子もいるし、低い子もいる。絵の上手な子もいれば、計算が得意な子もいる。当然、勉強が不得意な子もいる。
勉強のできる家庭環境にも恵まれた子供が東大に合格したときの学習方法をマニュアル化し、それを勉強のできない、家庭環境にも恵まれていない子供の教育に使ったとしても、まったく役に立たない。
と著者は断言します。
何が言いたいのか?
当然のことだけど、教育評論家のたかだか1人の人生の成功経験などという小さなデータは、まるで役に立たない。
他人の成功体験はまるで役に立たない。子供は一人ひとり特性が違うのだから。
教育経済学者が求めているのは数万数十万という膨大な子供の育成データ、学力の科学的なデータから、誰にでも使える、どの子供に使っても学力の伸ばせる法則性・規則性のある科学的根拠が立証された教育方法なのです。
インターネットのニュースはこの逆ですよね。個人の意見しか載ってません。私はこう思います。という意見。そこにエビデンス(科学的な証拠)はない。
だから全て役に立たない。法則性・規則性がない、ただの個人の意見なのだから。
俺は深夜3時まで仕事してたけど、過労死なんて自分も周りもする奴はいなかった。
とか言う人いるけど、それってあなたの周りの小さな出来事だけですよね。
なぜ、過労死ラインが月80時間と呼ばれるのか。人間の体は弱い人もいれば強い人もいるんです。
強い人(個体)に合わせてるんじゃなくて、弱い人に合わせてるんです。
1日4時間残業を1ヶ月連続でやると過労死ラインの80時間です。
4時間残業をぶっ続け1ヶ月繰り返すと労災認定ラインになるのは、それをやると体の弱い労働者は、倒れてしまうためです。
強い体の人間が俺のときはこうだった。とか、科学的根拠なんもないから。
全部無意味。俺の人生経験では。とか全部ゴミ情報。私はこう思います。もゴミ。社会のお役には立たない。
だって、それ他の人がやっても同じ様にならないから。同じ様に長時間労働してたら、倒れてしまう人だっているのだから。
なんの科学的根拠もない、個人の意見や体験談はまるで役に立たない。
誰が使っても役に立つ。誰が読んでも使用しても、お役に立てる情報。それこそが「社会科学」なんです。
大学で学ぶ学問は3つです。それらは
- 人文科学
- 社会科学
- 自然科学
全部「科学」が入ってくるんです。
科学という言葉が入る以上、論理性・法則性・規則性がないと、論文として私はこう思います。
と学会で発表しても、で、その裏付けとなるエビデンスは?
と言われてしまいます。
だけどテレビだと自分のときはこうだった。という感想を教育評論家たちは言うんです。
そのため、すべての情報が役に立たないのです。そこに科学的な根拠がないからです。私がテレビ観るの止めた理由がこれですね。
言ってることをやってみても同じ様にならない。間違った情報のほうが圧倒的に多いから。情報が役に立たないからです。
社会のお役に立たない情報など不要です。
子供は
- ご褒美で釣れば学力は伸びるし、お金の大切さを知り、無駄遣いしなくなる。
- 甘やかして育てるより厳しく規則正しくしつけたほうが誠実な大人に育ち、子供の将来の生涯年収も増える。
- ゲームをすると暴力的になる。という科学的根拠はまったく存在しない。
が、エビデンス(証拠)に基づいた、科学的根拠のある答えになります。
誰が使っても誰がやってもそうなる行為です。
ただし、ご褒美は倫理観やこの世は金や!みたいになることはないけど、ご褒美のあげ方によってはまったく学力に影響を与えないことも科学的に証明されています。
たとえば、
【ケース1】次の期末テストで80点以上とったら3,000円あげる。
では学力が伸びない。
【ケース2】いま、このリビングで3時間勉強して今日やる練習問題のページを終わらせたら、ごほうびに300円あげる。
だと伸びる。
つまり成果に対してのご褒美では子供の学力は伸びない。行為に対してのご褒美だと子供の学力は伸びる。
が教育経済学の研究結果です。
いま練習問題を解くという行為に対してご褒美をあげると、いま子供は勉強を開始し、学力が伸びます。
2ヶ月後のテストでいい成績を取ったらご褒美をあげる。と言われても、いま勉強を開始する子供はいません。
そしていまやらなくてもいいや。と、ずるずると先送りするため、最後まで勉強をしない。という行為をほぼすべての子供が取るんです。
だから遠くの成果に対してご褒美をあげても子供の成績は変わらないのです。
人間って3ヶ月後とか1年後に得られる果実のためにいま頑張ろうとする人ってほとんどいないんですよね。
逆にいま腹が減ったからご飯を作ろう。って人はメチャメチャ多いんです。
当たり前ですね。
腹が減ったら面倒だけど飯をいま作るわけです。いま勉強したらいまご褒美を貰える。
いま何をやればご褒美を貰えるのかがとても明確だから、いま勉強を開始するわけです。
2ヶ月後テストで80点を取るためには、いま何をしたらいいのかがわからない。
だけど、目の前にある練習問題を解いたらご褒美を貰える場合、いま何をすればいいのかが明確なため、子供はいま勉強を開始するんです。
それの継続が子供の学力を圧倒的に高めてしまう。
つまり教育熱心な親御さんのほうが放任主義の親御さんより子供の学力を人為的に高めてしまえることができる。
このように、社会生活において誰にでも使えるもの。誰が使っても成果が出るもの。
それが社会科学。
科学的データによって裏打ちされた知見なのです。誰が使っても役に立つ社会の法則性。それが社会科学です。
他人の成功体験はたった一人の成功体験なのだから同じ状況になったときに同じことをしたとしても、まったく同じ結果になるとは限らない。
ということです。
実に論理的な書籍であり、私好みです。続きはこちら。
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