花粉症になりたくさんくしゃみをしたらまた熱が出た。
☆☆☆
病院へ3度行った。
熱が出たり出なかったり。治ったり治らなかったりする。おまけに障害は一生治らない。イライラする。
常に苛ついている状態。これが障害者だ。
人が破滅願望を持つときクーデターを起こしたいとかテロを起こしたいとか、そういう奴は社会に不満を持っている人たちだ。
常に苛ついている私もこちら側なのかもしれない。
常に苛ついていると人は死生観について考察するようになる。病気で一生治らない目と耳だ。
ストレスが爆発する。モノに当たる。
電車に乗っても降りたい駅に降りられない。目と耳見えない聞こえない状態で電車に乗るからだ。
電車は健常者のための乗り物なのだ。
障害者向けにローカライズされてるわけではないのだ。勘で降りるから降りたい駅に降りられず、全然違う駅に降りてしまうのだ。
キレて東京のホームの鉄格子の柱にヤクザキックしてるのは私である。
まあそれはいい。
生と死について考えるとき大切なことはただ一つだと気付かされる。
それは超金持ちであっても超貧乏人であっても、死んだらすべてがゼロになる。
ということだ。
死とは無である。
死とは寝てるとき意識がなくなり無に帰すことと同じなのだ。ゼロであり意識がない状態。無である。それが死なのである。
そうすると超金持ちだから死んだあとも生きられるとか、意識が残るとか、永遠に生きられるとか、そういうことはない。
病弱だろうが健康体だろうが、人生に成功しようが、一代で資産を築こうが、最終的に全員ゲームオーバーになる。
そのゲームオーバーを迎えるまでに楽しかったか辛かったかの違いでしかない。
このように、人の死は平等である。無であり意識がなくなる。金の多寡に関係なくだ。
死は金持ちも貧乏人も障害者も常に等しく意識がなくなりゼロになる。
そうすると信長理論に到達する。
つまり死は無なのだから最終的にみんな同じく意識がなくなり、この世に終わりを迎える。
したらさ、ゲームオーバーになる前、生きてるときこそがすべてである。ということが分かるのだ。
人間は生きてるときこそがすべてである。これが織田信長の理論である。
次に、生きているときの生き方についてである。
死は無であり意識がなくなるのだから生こそがすべてである。では、生きてるときにすべきことは何なのか?
それは苦痛をたくさん味わって
老衰し生涯を終えることなのか?
違うね。全然違うよ。生きているときこそがすべて。資産総額があろうがなかろうがすべてがゼロになる。
であるならば、生きているとき楽しまなければ人生は損なのである。人間、超金持ちも超貧乏人も100年も生きてりゃ肉体が老化して必ず死ぬ。
死は無であり金持ちも貧乏人も等しくタイムリミット、生には期限があるのだ。
残された時間は限られているのだ。ならば、その時間をどれだけ楽しく生きたか?
楽しく生きたもん勝ちなのである。
健常者21年、障害者18年やってたどり着いた境地がこれである。
人間は障害者だろうが健常者だろうが耳がもう終わってようが、腕が片方なかろうが、足が両方なかろうが、資産総額が5兆円を越えていようが100年も生きてりゃ全員お陀仏だ。
意識がなくなり死ぬ。無でありすべてがゼロになる。ならば死ぬ前にどんだけ毎日楽しんだか。
これがすべてなのである。
私の死生観。障害者の生きている意味、生きる意義とは、毎日をどんだけ楽しんだかがすべてなのである。
勉強しようがしまいがどうでもいい。仕事があろうがなかろうが障害者になったら平均年収は健常者の半分程度だ。
努力とか意味ないのだからしなければいいだけだ。
努力が報われようが報われなかろうがセンター試験のリスニング問題で耳が聞こえなくて0点だろうが、どーでもいいのだ。
毎日を楽しむこと。生きることに目的なんて不要。一番楽しいと感じることに一番たくさん時間を使うこと。楽しいと感じることを仕事に選ぶこと。
それだけに焦点を置いて生きている。
他者から見るとかなり不幸でもいい。己から見て毎日が楽しいか楽しくないか?
これがすべてなのである。
目と耳の障害者の私の死生観は以上である。私の読者様も100年もすりゃ全員死ぬのだから、死ぬ前にめいいっぱい楽しんでいただきたい。
人間は超金持ちも超貧乏人もタイムリミットは等しい。最終的に全員ゲームオーバーだ。
生の目的なんてあんまり意味がない。自分が永遠に生きたいのならば、自分の遺伝子を残せばいいだけだ。
つまり、子供を産めばいいというただ単純なことである。
永遠の生が欲しいのなら子作りしろ。それで自分の遺伝子はこの世に永遠に残すことができる。
時間はすべての人間に平等であり、限りがあり、一番貴重な人的資源だ。
自分という個体が生きている時間には限りがあり、残りはみな少ない。100年もない。だから楽しんだ者勝ちなのである。
生きる目的なんて難しいこと考えず、今日も明日も毎日をただ単純に楽しもう!