障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

年末年始も生活保護障害者の起業家は仕事だけど何か?

2018年の年末は仕事をしていた。

年始も今日で3日目だが、三が日すべて仕事に費やした。


☆☆☆


そもそも実家に帰ると親に気持ち悪がられる。二度と帰ってくるなという表情をされる。

胸を痛める。仕事の生産性が落ちる。

社会に不要な、価値をもたらさない人間になってしまう。


よって帰省すると生産性が落ち、社会のお役に立てない人間になるのだ。

障害者にとって帰省は損失なのである。


日本の常識とか文化とか習慣よりも、いかにして社会の役に立てる人材になれるのかのほうが、私にとっては極めて大切なのである。

あと3年以内に生活保護を脱却しようと思っている。こんなに貧しい生活はさすがにもう嫌だ。飽きた。


築50年のゴキブリの巣がある都営住宅に生活保護者が入居して贅沢三昧?

民度低すぎである。大志がなさすぎである。都営住宅に入居して家賃2万円までコスト削減して、余った11万円で豪遊とかしょぼすぎ。


そんなぬるい人生送ってないから。

障害手帳を取得した瞬間から障害者は差別を受ける。半ば自動的に、だ。悪夢の始まりである。


社会のすべてを滅ぼしたくなるほどの憎悪の始まりである。

親からは馬鹿にされ、我が家の恥だと言われ、あいつはろくでなしで私たちの関係者でもなく、理解もできないクズだと言われ

小学校からの親友には気持ちが悪いと言われ、入院後二度と会ってもらえず、基本的に障害手帳を取得したあと人間扱いなんて誰からもされないから。


それが普通だから。

帰省なんてしたって家族に笑い者にされ親戚に馬鹿にされ(実際に馬鹿なので反論しないがw)


不愉快な気持ちで東京の自宅に帰ってくるくらいだったら、そんな嫌な血縁以外に何の関係もない精神的な赤の他人と

会話したくないのに、まるで見えず、まるで聞こえない状態で無理やり会話して馬鹿にされ頭叩かれ、全部聞こえず見えず、憎悪と復讐心と怨嗟を増幅させ…そんな生活のどこがいいのかよく分かりません。


よって帰省なんてせず、年末年始はひたすら仕事してました。昨年の年末年始もそう。

一昨年もそう。

障害者になった瞬間からもう人じゃないの。人間じゃないの

障害者は人じゃないんだから人として見てもらえない。当たり前である。


家族にはさらに嫌がらせを受けて(ていうか知的障害者を一番殺害しているのは介護疲れの家族である)

ざわざわ殺されるリスク背負ってまで、カモがネギ背負って帰省なんてしないから。


そんな無意味な時間を実家とかいう意味不明な虐待空間で過ごすなら、東京の自宅で朝から晩まで仕事してたほうが健全で生産的だから。

障害者になった瞬間から頭ぽかぽか叩かれて、精神壊して、精神安定剤飲んで、非正規社員の雇用しかなくて、お給料が健常者時代の半分以下で、それでも障害者なんだからがんばりたいと言え、お前は恵まれている方なんだぞ。


目と耳を壊しただけなんだろ?

とか意味不明な嫌がらせ受けて、人間扱いされず、蔑まれ、10年仕事して正社員になったあと、障害が毎年悪化して、医者からはもうくるなクズと言われ、目と耳完全に失い、生活保護受給しつつつ、それでも人が大好きです。

とか、好きなわけねーだろつーの!!!


私はそこまでマゾじゃないから。他人に希求なんて求めないから。己の人生は己が切り開くんです。

己の無尽蔵の見返りを求めない努力によってね。


てなわけで、他人とか家族とか(家族は他人より質が悪く、心配しているんだから早く治せとかもう一生治らねえつってんのに 

意味不明なことばっかぶっこくから)全員興味ないです。


勝手に滅んでください。生物全般興味ないですw

ということで生活保護起業家の障害者は早く保護を脱却し、自分の金で豪遊するために仕事します。


正月とか大晦日とか三が日とか興味ないです。

そういう既存の文化とかすべてぶっ壊して、無視して自分のペースで人と社会の役に立つ記事を書くこと。


己が好きなように己を動かして金稼いで好きに生きること。ただそれだけのために生きてます。

毎年年末年始は一人だけど、要約すると1年中一人なので、ていうか日本語とか年に数回しか使わないので、あまり意味のない言語だなと思ってます。


目と耳壊してから全部聞こえない全部見えないのだから、生きてることにそもそもの価値なんてないんです。

障害者の生なんて全部無意味。


社会のお役に立てない、働かない障害者に生きてる価値はありません。

生きてるときは後世子孫のためにお役に立てることをしましょう。

私が言いたいことはそれだけです。

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