障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

障害者は生きててもあまり意味がない。

ここ1週間、私はずっと勉強をしていた。


☆☆☆


目と耳に障害を持ちながら趣味として数学を勉強していた。

ただ単純にテレビゲームをするより、数学の問題を解いてたほうが楽しかったからだ。


私の病気は進行している。耳はもう使い物にならなくなった。すべて聴こえなくなった。

目もほとんど見えなくなった。


3mより先はあまり見えない。家のなかでよく転ぶ。生活保護を受けているため、1日24時間勉強し放題になった。

日本は18歳で人生がほぼ決まってしまう格差の国だ。


生涯年収の最も高い東京大学京都大学も社会人入試なんてやってない。1度社会に出てしまったらもうおしまいなのだ。

20年間コンビニでアルバイトして38歳になっても、所得は18歳の頃のままだ。


現場でものすごい努力をして毎日働いても、もう無意味だ。

障害者の人生、私の場合は盲ろう者(目と耳両方の障害者)だが、私の人生もそうだった。


18歳からずっと仕事を続け38歳まで単純作業だけしてきた。

特に36歳までは書類整理と入力業務しかしておらず、収入は一向に増えなかった。


努力など無意味なのだ。

障害者が課長や部長になって部下を指示するなんて、社会が許さない。メンツの問題でもあるし、私が指示を出しても健常者は動かない。


当たり前だ。

私は障害者なのだから。みんなより身分が下でなければいけない暗黙のルールがあるのだから。

障害者が指示を出したら障害者のクセに生意気なんだよ。と言われるだけだ。誰も動かないで終わる。


努力しようがしまいが仕事内容は変わらず、そのため高度な仕事は健常者の後輩の正社員が行い、後輩の正社員の指示通りに書類整理だけして20年間も無為な時間を過ごしてきたのだ。


18歳で大学の工学部に進学し、4年間専門技術を学び、さらに修士課程に進学し研究者の道を歩む人たちは、一流企業に就職後も研究開発業務を続け、毎年技術力が向上し収入が増え続ける。


そのうちの一部の人間がノーベル賞を取得することになる。努力はどちらも同じなのだ。

ノーベル賞受賞者も一流企業の研究所で働いてる人間も、そしてコンビニ店員も、同じ量だけ努力している。


だが、片方は収入が増えず毎日同じ仕事の繰り返しであり、もう片方は研究開発の専門性が毎日向上し、新しい医薬品を開発して特許を取得し、技術力が向上し、一流の研究者の道を歩んでいく。


一流大学は社会人入試での採用をしていない。もうおしまいなのだ。18歳でゲームオーバーだ。

(ちなみに二流大学も理系は社会人入試を実施していない)


もしも社会人が理系学部に進学したいなら、理系は積み上げ式の学問だから、中学1年生の数学の練習問題から始めなければならない。

高校数学、特に理系で履修する高校三年生の数3まで学ぶためには、中学の数学の基礎が必要になってくるからだ。


この数3がその後工学部に進学してからの機械工学、電子工学に使われているのだから仕方がないのだ。

逆に数3を試験問題に課さない私立の3流以下の大学は、大学に進学してもろくな研究者になれないことを明示しているのである。


必要だから最難関の数3を課しているのである。

高卒は、18歳で社会人になり親からの扶養を打ち切られ一生懸命に働き、非正規社員で給与が増えず、家に帰ってボロボロの体で中学数学から独学で学ぶのだ。


そりゃ高卒非正規社員や障害者や貧乏なお年寄りのほうが犯罪を犯すわけだ。社会に不満を持っている人たちだからだ。

当たり前である。日本はそういう制度なのだ。社会に不満を持ちやすくしているのだ。気づけ。


世界幸福ランキング1位のデンマークのように学び直しなどもう不可能なのだ。

人生がすぐに終わるようにできているのだ。


そのため、1年間夜中に勉強し、睡眠を削って努力して体調崩して倒れてしまったのが10年前の私である。

で、いままた中学1年生の数学からやり直している。


10年前は28歳で高校2年の数学(数2・B)まで進んだ。10年経ってぜんぶ忘れた。また中1からやり直しだ。

もしも国立大学を受けるなら5教科7科目を中学1年生の練習問題から始めなければいけない。無理だ。


社会人じゃもう無理。仕事が終わり深夜に、5教科7科目の基礎を中1の内容から独学で学び直すのは不可能である。

人生あきらめるしかない社会システムなのだ。

ただ、現在の私は病気が悪化していることもあり幸か不幸かよくわからんが、生活保護者になってしまった。


朝から晩まで数学やってる。1日に問題集が30ページずつ進む。これならセンター試験を受けられるかもしれない。

しかしセンター試験で問題用紙を拡大してもらったり補助を受けるには、医師の診断書が必要である。


医者は私が病院へ行くとこのクズめ!二度とくるな!

と言う。だから病院へは行けない。病院へ行けないから検査はしてもらえない。検査してもらえないから医師からの診断書も受け取れない。


医師の診断書ももらえないから障害年金の手続きもできないし、英語のリスニングの試験は0点だ。

ちな、私の言葉の聞き取りは3割程度であり、もう人の言葉は聞き取れない。


だが、3割という障害等級は存在しないのだ。

5割以下の言葉の聞き取りだと4級、2割以下の言葉の聞き取りになると障害等級は2級になる。


3割程度しか言葉が聞き取れない私は5割以下と見なされ、障害手帳は4級に該当する。

聴覚障害で4級では補助はなしである。だが、人の話す言葉はもう聴こえないのだ。


よってセンター試験英語のリスニング問題は0点だ。ハッハッハ。

障害者の人生とか生きてて無意味。もうゲームオーバー。障害者になった時点で人生詰んでる。終わってる。


なぜ数学やってるのかよくわからん。障害者は生きててもあんまり意味がない。制度が厳しすぎる。

ヘレンケラーがなぜ日本で出てこないのか?

とか言う人居るけど、ヴァカじゃないの?


無理ゲーな制度作ってるのは誰なのかな?生きてても意味無いの。制度が厳しすぎるの。

もう無理。飽きた。この国での努力とか無意味。一生懸命の努力とか制度的に無意味。


一生、生活保護で良いかなって最近少し思ってる。制度がキツすぎる。辛い。生きてて辛い。辛いよ。

もういい。どうでもいい。


そんな思いで中学1年生の数学をやってる。中心視点が見えないのに、だ。目と耳両方に障害を持っているのに、だ。

意味のない人生である。


私の人生は意味がない。無意味である。健常者の非正規社員もそう。努力とかすべて無意味。

あほくさ。

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