障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

正直、目が悪すぎて手話とか見えないし、何言ってるのかも分からない。

区役所とかそれなりに障害者に詳しい場所に行くと、手話通訳士が常任している。


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で、会話がまったく通じないのがバレると、手話をしてくる。私はそこで考察する。

自分のような耳と目両方の障害者(盲ろう者と呼ぶ)は、どう対応したら良いのかと考察するのだ。


が、1度や2度だったら、申し訳ない気持ちにもなる。折角手話をしてまで、私と会話しようとしてくれているのだ。

ありがたい気持ちにもなるし、弱視で全部見えないのを伝えたら、悲しむかもしれない。


だから、目と耳両方の障害者になり立ての頃は、落ち込んだり、申し訳ない気持ちにもなるのだ。だが、このような経験が10年20年と続くと、どうなるのか?

どうでもよくなるのだ。またか?

と思うのだ。


もうかれこれ20年もこの状態だ。この体とは一生付き合っていかないといけない。

どこかで希望を捨てる必要がある。


私は20年間この体になったあと喜怒哀楽した。喜んだり楽しんだり、哀しんだり怒ったりもした。

最初の頃は、がんばれば障害だって、治るはずだと思っていた。


20年間病院に通い続けた。

そして、現金だけ全部奪われ、破産し、聴力が完全に失われ、視力が通院する傍ら5分の1に落ちた。病院へは全財産を支払った。


そうすると人はどうなるのか?誰かを恨むのか?

違う。希望を捨てるのだ。希望とかもう持ってないのだ。そういうの、努力で局面打開できない行為のすべてを、「あきらめる」のだ。


だから手話してきても無視している。ボーっとしている。すると、親切だった手話通訳士もコイツ、目と耳の障害者か?

となる。


こういう出来事も、最初の100回くらいまでは、努力していた。「すいません、すいません、私は目と耳両方の障害者なんです。」

「折角、手話していただいても、見えないのです。」


と1,000回くらい言い続けた。そして、もう飽きたのだ。私は希望を捨てた。もういい。もういいよ。どうでもいい。

で、ぼんやりして筆談して、用事を済まして、帰ってきて、自宅でブログを書くのだ。働く。働くのだ。


社会のためになる記事を書き、ブログに広告を設置し、強欲に金を稼ぐのだ。

お金を稼いで稼いで稼ぎまくって、年収4,000万円を突破し、税率55%にして、半分以上を納税するのだ。


それ以外、何も考えなくなった。目が悪くて階段で転んでも、痛みがあっても、仕事のことしか考えていない。

お金持ちになるのだ。


世のため人のためになる記事を書き、私はお金持ちになるのだ。

で、どっかの半島なり、少し広めの土地を購入し、私有地のなかで「人のいない家」に住み、「人のいない生活」をするのだ。


私の体では人とふれあうとお互いが不幸になる。その行為には努力が介在しない。努力は報われない。

だから働く。世のため人のために働く。


そして、馬鹿みたいに納税して、半分以上税金と社会保険料で奪われ、残った金で、人のいない場所を作るのだ。

確保するのだ。


手話されて、全部見えない聴こえないため、無視しているとき、私はそのことだけを考えていた。

てか、常にもう、そのこと以外は、考えていないのだ。


寂しいとか、つらかったとか、死んだ祖母の笑顔とか、もう感情がないのだ。初めて自自医科大学病院へ行ったとき、私のお父さんは笑って励ましてくれた。

治る。きっと治るよと言ってくれた。まだ耳が少し聴こえていた。


18歳のとき、20年前、帰り道でセブンイレブンで買った焼肉弁当を二人で食べた。おいしかった。

だけど、20年経ったいま、もう治らないのだ。


治らなかった。治りたかったが、でも治らないのだ。私は感情を捨てた。情理を排斥した。

うれしいとか、ありがとうとか、うれしかったとか、どういたしまして。とか、笑顔とか、もうそういうのがないのだ。

全部全部失った。障害によって、全部あきらめたよ。もう。


シンプルに生きる。まるで機械みたいに。器具のように。装置のように。

目と耳の障害者にとってたった一つ残った、努力の報われる行為。それは破産し、起業し、生活保護を受給しながら、働くということだ。


働く。ただただ働く。世のため人のためになる記事を書く。

このときだけは障害から開放され、私は真に自由になり、健常者時代を回顧し、そしてそのときだけは、努力が報われるのを知るのだ。


だから私は働いています。生産的に人と社会の役に立ちたいからです。社会に不要な人間だという烙印を押されたくはないからです。

そして人のいない場所を確保し、一人で生きるためです。


クズとか馬鹿とか言われても、もういいし、だけどそういう人に自分から近づいて、頭とかぽかぽか叩かれるのは、もう嫌だから。

やめて。やめて。って言ってもやめてくれないから。

だから私は一人になるんです。ひとりを目指すのだ。