障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

生活保護障害者にとって家族とか不要である。

親からメールが届いた。


☆☆☆


私が生活保護を受給したため、東京都の某区から実家に書類が届いたと言うのだ。

その内容は

  • 息子が生活保護を受給してます。
  • 精神的・経済的に支援してやってください。
  • 資産があるなら少しは息子を扶養しろ(金を出せ)

という内容だ。

と父はキレていた。


心配しているんだぞ(我が家の恥め!)。

ということだ。


それくらいは、文章の音韻や陰湿さで分かる。

305社落とされて、目がほぼ見えなくなって、それでいままでのように会社で働けると、まだ思っているらしい。


私は社長になった。目と耳を失い、開業届けを提出して、社長になった。

人と違うことをやっているから、家族にまで「みんなと同じことをしろ!」と叩かれる。

批判を浴びせられる。


どういうつもりだ。なぜ、みなと同じことをしない。

非正規社員で安月給でも、定年まで雇ってもらえれば、それでいいじゃないか?


昇進も昇格もできず、後輩の正社員から単純作業でコキ使われて、後輩の歳下の女性社員から、この面倒な仕事やっといて!ギャハハ!

と言われて、障害者は幸せなのだろうか?


私はそうではないと思った。

なぜなら、どんなに努力したって、体の丈夫な健常者には勝てないことを知ったためだ。


ではどうすればいいのか?

305社に落ち続けながらずっと考えていた。それが自分にとってはブログだった。というだけだ。


私にしか書けない、目と耳を失った人間にしか書けない記事があるのだ。自分にしか書けないのだから、競争相手はいないのだ。

このニーズは私がMicrosoftWindows OSと同じように市場シェアをほぼ100%独占したのだ。


これで食べていくと自分で決めたのだ。勘違いしてほしくないのだが、自分の人生と進路は自分で決めるものだ。

当たり前だ。

他人に判断を委ねていいものではない。たとえ家族であっても他人と同じだ。


そのため家族の言うことは全部無視してます。自分の意見のほうが正しいと思うからです。

私のことなのだから当然です。


心配してるんだぞ(このクズ障害者め!はよ氏ね!)

と家族に言われても、私は死にません。私は努力するって決めたのだから。


障害者ブロガーとして日本一になるって決めたのだから。だから1ヶ月30日労働をずっと続けます。

勝ちたいから。勝って勝って勝利したいから。

そしてお金持ちになって、たくさん納税したいからだ。


他人やら身内やらの意見はすべて無視させていただく。私にはもう耳がない。家族と会話できる聴力なんぞないのだ。

彼ら成功していない、年収がたかだか1,000万円すら超えていない人間の意見なんぞ、すべて無視させていただく。


障害者起業家にとって家族はノイズであり雑音でしかない。

努力する。努力して努力する。私が正しいと思った道を、ただひたすらに邁進していくのみなのだ。


障害者にとって家族なんか不要なのだ。私は読者さんとの対話だけしたいのである。

どうせ健常者の家族と障害者の息子は分かり合えるようなものではない。

この苦しみは、この怨嗟は、この不幸は、社会のお役に立つための重要なエネルギー源なのだ。


それを分からない人間と私はたとえ家族でも会話はしない。

障害者の気持ちを理解できるのは家族じゃない。同じ障害をもった苦しみ続ける同胞たちだけなのである。

続編はこちらです

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