障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

他人と自分を比べる必要はない。自分だけの道を進めばいい!

10代の頃、友達や周りの人と、自分を比べるということをよくしていました。

20代になり、過去の自分と、今の自分を比べるということをよくしていました。

30代後半になり、そういうことを全くしなくなりました。


☆☆☆


人間の能力は千差万別であり、それぞれギフト(才能)が異なります。足の早い人、腕力の強い人、野球の上手な人、数学の得意な人などなどです。


それぞれに才能が異なっているので、他人と自分を比較してもまったく意味がありません。記憶力の高い人もいれば、私のように人の名前も覚えられず、恥をかく人もいます。


100m走の早い人もいれば、マラソンの得意な人もいます。問題は人にはそれぞれ何らかの才能が眠っているのですが、それが何なのかがわからないところにあります。


自分にどんな才能があるのか分からないから、他人と自分を比較して、うじうじしてしまうのです。


別に頭が悪くても人間的魅力が高かったり、リーダーシップの優れた人間もいます。私のように計算は苦手だけど、文章執筆においてだったら、誰にも負けないと思っている人もいます。


自分のギフト(才能)が何なのかを知るには色々やってみないと分からないので、いろんなことに挑戦してみて、駄目だったらさっさとあきらめての繰り返しを、20回近くやるべきなのです。


才能を開花させるためには、少し飽きっぽいくらいのほうがいいのです。辛いことを続けていたら、表情が死んでしまうし、生きてて苦痛になり、倒れてしまうからです。


色々やってるとある日突然「これだ!」「私はこの才能のために生まれてきたんだ」というものが見つかります。


で、それを見つけることができないと、サラリーマンになってしまいます。それはそれで正社員のサラリーマンであれば何不自由なく食べていけるため、全然問題ないのですが、ギフトを見つけ、才能を開花させたほうが、人生はかなり楽しくなります。


そもそもサラリーマンなら全然大丈夫ですが、いつクビになるかも分からない派遣や契約社員だと、所得も上がらないし、仕事も高度にならないしで、とてもつまらない人生になってしまいます。


自分探しではなく、自分の才能探し、ギフト探しは、絶対にやるべきです。自分の才能がどこにあるのかが分かったら、あとはそれを膨大な時間を費やして、開花させていくだけです。


いまの自分がこの段階であり、朝から晩まで文章執筆をしています(いま朝の5時14分ですw)。というか、もう起きているときは、全部文章執筆の時間に当てています。


こうなってくると、他人と自分を比較するとか全部無意味ですし、過去の自分と今の自分を比較する、などということもしません。


ずっと専門性を磨いているだけです。というか、文章執筆以外のことを私はしていません。


他人は他人であり、自分とは身長も体重も臓器の大きさも、健康状態も、それぞれのスキルの特性も、全く異なっているため、比較するとか全部無意味なのです。


ある人はそれほど努力していないのに、綺麗な絵を書くことができるし、またある人はそれほど努力していないのに、難解な数学の問題を解くことができてしまいます。


人それぞれに特性が異なっているのです。よって、自分の得意なことを見つけることと、そのスキルを開花させること。それ以外は、本来人間はやるべきではないと考えています。


他人の土俵で戦ったって、負けるだけなので、戦う必要性はないのです。自分の一番得意な土俵においてのみ、戦えばいいのです。


だから他人の特性と自分の特性を比較したって、得意不得意は人それぞれなのだから、比較するのは無意味なのです。


自分の特性はどこにあるのか。自分のギフトな何なのかについてだけ、注意を払っていればいいのです。よって、近頃の私は他人と自分を比較するということをまったくしていません。


自分のスキルを磨いている時間以外の余計な時間を、消費することもしません。

ひたすらに専門性を高めているだけです。


ユニーク(世界でただ一人の存在)になればなるほど所得は上昇しますので、自分の選んだ道を進めばいいだけなのです。そういう点で人生はわりと単純だと思っています。


自分でギフト(才能)を発見し、自分で道を選択し、その道をただひたすら突っ走るだけでいいのです。


うじうじしているくらいだったら、いろんなことに挑戦して、失敗しまくって、また別の事に挑戦して、失敗してを繰り返すことで、自分の才能がどこにあるのかを調べ、開花させたほうが有意義です。

人生はそういうところ、極端にシンプルなのです。