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人によって好みがあると思う。
ファミリーコンピューター時代からやってきた自分にもやはり趣味・嗜好があり、人によって違いがあるのは否めない。
では、私が1980年代からやってきたテレビゲームの音楽のなかで一番優れた、もっとも頂点にふさわしいゲーム音楽とは一体何なのか?
と聞かれたら、自分はミュージックアドベンチャーゲームの頂点に君臨する、シンフォニック=レインのオープニングソング「空の向こうに」だと即答する。
あれはいけない。破滅へと導く曲だ。神の曲だ。
その昔、ゴッホは精神病に罹患(りかん)した。精神病に罹患したあとの絵が後世において世界最高の評価を得ている、かの有名なゴッホの絵である。
ゴッホのひまわりとか、名称は知らんけど、彼は精神障害を患った後に才能が開花してしまったのだ。
そして破滅へと向かい、ピストル自殺するのだ。
日本最高の神曲、シンフォニック=レインのゲームの舞台も、それと同じである。
彼のフォルテールの音色は、精神病に罹患したあと、彼の心が壊れれば壊れるほどに、大衆から高い評価を受けることになる。
壊れ続ける彼の心があまりにも美しいフォルテールの音色を生み出し、奏でてしまうのだ。
無残に、そして美しく、心が滅ぶ残酷な音色の曲。
シンフォニック=レインに行く前に、まずは、みんなが知っている曲を少し挙げておく。
いきなりドマイナーな神の曲を出されても、読者さんは対応し難いと思ったからだ。
よってファイナルファンタジーとドラゴンクエストの曲を幾つか紹介させていただく。
興味ない方は読み飛ばして、いきなり頂点を聴いてもらっても構わない。
まずは、ファイナルファンタジーⅤのエンディングにしか流れない「親愛なる友へ」だ。これは、20年前まで、自分が日本一のゲーム音楽の曲だと思っていたものだ。
この曲だ。
■FFⅤ「親愛なる友へ」(ピアノコレクションヴァージョン)
これは神の曲と言っても良い。ファイナルファンタジーシリーズでもっとも優れた曲だ。
オールドファイナルファンタジー(1~6)のなかではストーリーは6が突出している。
だが、あまり知られていないが、BGMは圧倒的に5がぶち抜けて質が高いのである。
流石は日本三大音楽担当が一人、植松伸夫さんである。
恐ろしい才能であり、天才的な曲を作られる方だ。
問題があるとすれば、Youtubeに貼ってある親愛なる友への音質が、あまりよくないことである。
これはグランドピアノで難易度の高いピアノコレクションヴァージョンの楽譜を使い、自分で弾くのが一番なのだが、そういったものがネットにないため、これを貼っている。
次、ドラクエの曲を紹介する。
ドラクエで一番心に残っているのはドラクエ4の「勇者の故郷」である。
ドラゴンクエスト4の5章の最初、村人がモンスターに皆殺しにされ、村が崩壊し、一人になった勇者が旅を始めるときの挿入曲である。
ドラゴンクエストの世界観において「勇者」とは特別な存在なのだ。モンスターを打ち滅ぼせるたった一人の存在。それが勇者なのである。
勇者の攻撃以外は無効果なのが大魔王の存在なのである。ドラクエはそういう世界観なのだ。
だからモンスターの一番偉い奴等は勇者が生まれることを一番に恐れているのだ。
そして勇者が生まれ育った村では、村の人々が勇者を守るために必死でモンスターと戦い、力及ばず、壊滅するのだ。
勇者はただ一人、打ち滅ぼされ壊滅した村の地下に閉ざされ、崩壊し、なにもなくなってしまった、お父さんもお母さんもすべて死んだその村からストーリーがはじまる。
これが革新のドラゴンクエストと呼ばれるドラクエ4の最初のストーリーである。
その一番最初に流れるのが「勇者の故郷」なのだ。破滅からはじまるドラゴンクエストにふさわしい恐るべき曲である。
この曲↓
ちなみに、この当時の鳥山明先生の画力は異常だったと思ってる。いまよりも当時のほうが絵におぞましさがある。とんでもない画力である。
特に男勇者の画力は異常な領域へと到達している。
ドラゴンクエストは実はオールドのほうがヤバい曲が多い。
特にドラクエ1や2にはとんでもない曲がある。
たとえば、ドラクエ2の、かつて竜王を打ち滅ぼしたロトの子孫3人の仲間が集った瞬間から流れるBGM「果てしなき世界」は大変に素晴らしい曲である。
さらにドラクエとFFがなぜ2大ロールプレイングゲームになったのか?
と言われたら、音楽担当者がぶっちぎりで他のゲームより優れていたから。
と断言することができるのだが、そのなかでも彼らドラクエの音楽を担当されたすぎやまこういちさんとFFの音楽を担当された植松伸夫さんには
得意中の得意の曲があり、偶然にも、おふたりともそれが同じなのである。
これもまったく知られていない事実であり、かなりすごいことなので、執筆している。
そう、彼らが得意中の得意としており、他のロールプレイングゲームを常に圧倒し続けてきたのは「街の曲」なのである。
代表作をそれぞれ挙げていく。
まずはドラクエの街の曲。すべて名曲なのだが、ナンバリング6を選定させていただく。
それがこちらだ。
■ドラゴンクエスト6(木漏れ日の中で)
ドラクエの街の曲はすべて名曲なのだが、特にこの6が突出していると感じる。
次、FF行ってみよう。
FFは2である。2の街が他を圧倒しているのだ。
植松伸夫という天才が完全にその才能を開花させたのが、このナンバリング2なのである。
日本のゲーマーは、ファミコン世代からこんな化け物のような名曲を聴いていたのである。
おぞましいほどの才能である。
たかだかゲームの街の曲にこれほどの才能の奔流が流れているのだから、他のゲームが追いつけるはずがないのである。
他にも名曲はあまりにも多くあるのだが(特にクロノトリガーのやすらぎの日々とか)、これらは1990年代までの曲である。
2000年以降に入ってゲーム音楽の頂点に常に君臨し、いまだ破られぬ神曲を作ってしまったのは、岡崎律子さんであり、彼女の曲に他ならない。
ゲーム業界の3大音楽担当者をぶぎ抜いた、唯一にして無ニの存在が彼女なのである。
彼女は、実質的に日本一のゲーム音楽のクリエイターである。
ゲームを作っているときに既に闘病生活中であり、お亡くなりになられた方だ。
ミュージックアドベンチャーゲームの頂点に君臨する我が国の至宝「シンフォニック=レイン」の音楽を担当された方である。
シンフォニック=レインのI'm always close to youの歌詞を読むと、岡崎さんが既に闘病生活中だということが分かってしまう。
I'm always close to youの一番最初のフレーズはこうだ。
「明日などないかもしれないのに、どうして、今日を過ごしてしまう。いまが全てとちゃんと知っていたはずなのに」
明日などないかもしれない。
という恐怖感がにじみ出た曲であり、ファンとしては哀しくなってしまう曲である。
彼女の頂点こそがゲーム音楽の頂点と言ってもいい。
そう、シンフォニック=レインのオープニングBGMにしてヴォーカルソングでもある曲だ。
人が破滅へと向かう曲だ。
シンフォニック=レインとは主人公が破滅へと向かう(最初から壊れているとも言える)ストーリーなのだが、それにぴったりの神々しい曲こそが、そしてここ30年間一度もライバルが存在せず、
ゲーム音楽史の頂点にいつも爛々と君臨し続ける、あまりにも禍々しいドグマのような曲こそが、日本の頂点なのだ。
それが「空の向こうに」なのだ。
これ↓
■シンフォニック=レインOP「空の向こうに」
このピアノのとろけるような音色が好きで、ゲーム発売から14年経ったいまもシンフォニック=レインを2本購入し、仕事が終わったあとに、いつも聴いている。
もう3,000回だろうか5,000回くらいは聴いている。
でも、飽きない。まったくと言っていいほど、飽きの来ない曲なのである。とても寂しく、そしてもの哀しく、滅びへと向かっていく曲だ。
ストーリーにおいても主人公は精神を破壊し続ける。
そして壊れれば壊れるほどに、彼のフォルテールの音色は美しくなってしまう。そんな悲しみの曲なのだ。
こんな破滅へと向かう曲を、日本一のゲーム音楽BGMにしてもいいのか?
私には分からない。でも、2000年代PCゲーム黄金期の一番最後の年。
2004年にCLANNADとFateという2大PCゲームソフトが真っ向からぶつかり、凌ぎを削っていた年に、ひっそりと発売されたゲームソフトのOPテーマソングとして挿入されたこの曲が、日本一だと私は思っている。
この空の向こうには3種類のヴァージョンがある。1つはこのBGMのみの破滅の曲だ。
もう2つはヴォーカルソングとしての空の向こうに。がある。
ヴォーカルソングには2パターンある。歌っている人が違うのだ。
そちらも好きなのだけれど、私がいつも聞いているのは、このBGMヴァージョンだ。
なぜなら、歌詞が神々しいからだ。
あの歌詞を聴くと哀しくなってしまうのだ。なぜ、日本最高の才能をもった岡崎さんがお亡くなりにならなければいけないのか。
あれほどの才の人がなぜ人々に知られることがなかったのか。
マーケターの不在がこんなにも大きな社会的損失を発生させてしまったのは、実は今回で2度目なのだ。
1度目はPCゲーム黄金期の2年目に生まれた名作「君が望む永遠」だ。
君が望む永遠の男女の境遇を入れ替えてパクったのが、名作ドラマ「冬のソナタ」なのだ。
あのときどれほどの日本人が哀しんだことか。オタ(オタク)は日本人であることをとても恥ずかしく思った。
情けない国だと思った。
日本がどれほど愚かな国で、韓国のマーケターがどれほど優れていたのか。
プロモーション能力の差異がこれほど社会に影響を与えたのは、初なのである。
君が望む永遠は完璧だった。完璧な恋愛アドベンチャーゲームだった。
韓国はそのストーリーを男女の立場だけ入れ替えて、そのままパクったが、韓国のマーケターの才能があまりにズバ抜けていたと言わざるを得ない。
日本は負けたのだ。コンテンツの競走において。完膚無きまでに韓国に叩き潰されたのである。
あのとき、2001年のあのとき、私はとても恥ずかしい気持ちになった。
日本最高の傑作が、日本の頂点へと到達した傑作アドベンチャーゲームが、いまだ破られることがない恋愛アドベンチャーゲームの名作中の名作が、この国から生まれたのに、まったく売れず、それをプロモーションできなかった才能の不在に、とても恥ずかしくなった。
まったく同じストーリーで冬のソナタは馬鹿売れして、しかも韓国よりも日本人のほうがそのストーリーに共感を持ってしまったのだ。
これが後の韓流ブームへとつながっていくことになる。そして、韓国に莫大な利益をもたらすことになる。
馬鹿どもめ。当たり前だろ。元々日本人が作ったエロゲーなのだから。
頂点へと君臨したストーリーを韓国がそのままパクったのだから。これは、韓国人のマーケターを褒めざるを得ないのだ。
その後17年経つが、恋愛アドベンチャーゲームとして君が望む永遠はいまだに破られることがない名作ゲームなのだ。
その意思を引き継いだのは拷問器具と法哲学をテーマとした名作中の名作「車輪の国、向日葵の少女」だが、こと恋愛をテーマにした作品として、君が望む永遠はいまだに日本の頂点なのだ。
2000年代当初韓国の人たちは、なぜ冬のソナタがこれほどまでに日本で大ヒットしたのか不思議がっていた。
だが、私たちオタは既に気づいていた。それ、ストーリーは日本のエロゲーだから。ということを。
韓国のマーケターが卓越していたのだ。日本はまた負けたのだ。
そして2度目がこの曲なのだ。
これほどまでの曲を生み出しておきながら、認知度が得られず、Youtubeだけが儲かるこのインターネットの仕組みを作ってしまった日本人の愚かさを、この曲を聴くと私も馬鹿な日本人の1人であることを認識し、少し恥ずかしくなるのだ。
日本はまたも負けたのだ。恥ずかしい国の恥ずかしい人たち。
だけど、そんなのどうでもよくなってしまうくらいに、「空の向こうに」のピアノの重低音と高音の禍々しい音色は、破滅へと導くそのフレーズは、いつも、いつでも素晴らしいのだ。
だから何千回と聴いている。
そして何千回と聴いても飽きの来ない曲なのである。
私がブロガーを志したのは伝える人間、マーケターの不在を恥ずかしく思ったからでもあるのだ。
良いものを人に伝えたい。良いコンテンツを作った人にこそ、お金が流れる仕組みを作りたいと常々思っている。
日本に必要なのはマーケターなのだ。
日本三大ゲーム音楽担当者については、下記のエントリーをご覧ください。