障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

【再掲】障害者カーストについて

前に自分を健常者と比較したカーストの話を書いた


☆☆☆


健常者と比べたら、障害者の労働とか努力とかはカスみたいに少ないという記事だった。

非常に不人気だった。誰しもが楽をしたがるのだ。


人は、見たくないものは見ない。

今日、寄付して下さった方からメールがあって、障害者のなかでもあまり障害に困っていない人や、それで楽して障害年金を受け取っている障害者


また、逆に、刑務所のなかにいる(刑務所のなかに居るのはある特定部位の障害者だけである)人など

障害者間でのカーストの記事を書けばとても人気が出るし、なにより私が書いたそういう記事を読みたい。


というメールをいただいた。

ネットで障害者と会話してると、大体(一人がとかではなく全体的に)、大体において、死ねとかクズとか


お前はたかだか目と耳だけだろ!俺のが困ってんだよ!

どーしてくれんだよ、人生。死ね!死ね!

と言われるので、あまり障害者には興味ありません。


そして私に死ね!死ね!言ってくる人たちの意見は、極めて適切なんです。

彼らは正しいです。間違ってません。


だから批判もしません。

自分も眼見えてないんですが、よく福祉の人に、眼、見えてんだろ?あ?

と言われます。


で、見えてないんですよ。だから、なんか年金事務所から変な執行通知書が届いてて、また破産するかもしれません。

前回は障害年金を打ち切られて破産しました。


今回は私が生活保護者だということを年金事務所が把握しておらず(縦割りなので区役所とデータが同期してない)

重要書類を紙でウチに送りつけてくるのですが、見えてないんです。


だからその重要書類を受け取れずにいました。

そしたらなんか分からんけど強制執行するそうです。


何を強制執行するのか、家から追い出されるのか知りません。なぜなら見えてないから。

書類が見えてないから。


年金事務所のお陰で2回破産しそうです。

堀江さんは刑務所のなかでも仕事をなされていた。私はそれで良いと思っています。そうありたいと考えてます。


とりあえずケースワーカーに話をしておいたので、2回目破産時の準備でもしておけば大丈夫そうです。

元より生活保護者になって1日16時間労働してるので、納税額は収入の8割になってしまい、刑務所のなかのが税率低いかもしれません。

努力とか無意味です。


なぜなら見えてないから。聞こえてないから。

障害者の制度や障害者福祉制度を作っているのは健常者の人たちです。


見えてるの前提で書類を送ってきている。

しかし見えてはいない。ヘーゲル哲学を使うならば、見えてないならば見なければいいんです。


無理なものは無理。障害者になったあと給料半分以下だけど、努力とか無意味だったけど、自動だったけれど、お前はもう障害者なんだぞと言われたけど、どうでもいいんです。

自動ですよ自動。だから、社会はこんなもんなので、私に文句言ったり死ね!死ね!

言うのは正しいです。その意見は思いっきり正しい。まっとう。社会はそんなもんです。障害者にとって。


イライラしてるのはほんとそう。誰かにぶちまけたいのは適切な行為です。

だから批判も反論もしません。実際、障害者になると人生詰むし。


で、周りもそうなので、そういう周りの障害者に対してさして私は興味がありません。

自分を殴ってくる人に興味を持つのはマゾです。私はマゾじゃありません。


そういうことです。障害者カーストについて書けば金になると思う。

仰ってることは正しい。


最近、ヤフコメ行くと、4分の1くらいが暴露系ユーチューバーのガーシーさんの記事です。

人間は他人の不幸が好きなのです。


ガーシーさんに暴露されて人生詰む瞬間を見ているのが、リアルタイムで他人が不幸になるのが、匿名でそれをこっそり見れるのが、そのショーが、人は、たまらなく楽しいのです。

堀江さんやひろゆきさんがフリーランチ(タダ乗り、この場合ガーシーさんに絡む行為のこと)しているのは、合理的です。


よって障害者間で争いを起こせば、以前それでバズったようにすぐに生活保護を脱却できるでしょう。

しかし私は形而上学が好きです。


長年人を見ていると他人の悪口を言った人間は長期的に見ると、大体悲惨な人生を送っています。

5年前10年前に人の悪口を言った芸能人がいま生き残っていますか?


何人か具体的に名前を挙げることができますか?

一人も生き残っていないでしょ。


全員人から信頼されず所得はゼロになっています。

マクロ経済学の記事でも書いた通り、他者の不幸は私の不幸でしかありません。


他者の不幸を知覚すると私は同じように落ち込みます。

そのため、他者の不幸を生み出すような記事は書きません。


私の哲学がそれを許しません。

障害者で楽して年金もらってる奴がいる。確かにそうです。


前に都内でトップレベルの眼科に行った時、そこのソーシャルワーカーが、いま障害年金で一番下りるの簡単なのはこの部位だよ。

君も病んでいるからすぐ下りるよ。

と言われました。しかし、私は当時病んでいたけれど、病院には行きませんでした。


エビデンス(病気の証拠データ、この場合、医者が書くカルテのこと)を残したいとは思いませんでした。

なぜなら、その思想は正しくないからです。


抗うつ剤は強い薬で、飲んでしまうとほんとうに立ち上がれず、仕事ができなくなるからです。

一度精神科へ行って嫌というほど薬の強さを知ってしまったためです。


証拠のデータを残したいとか喚き散らしたいとか、そういう行為はお得です。金になります。でも、精神が穢(けが)れるのです。楽して他人の税金を奪いたいというインセンティブ(動機)が私にはありません。

正しくないことは私の哲学上できません。その行動は存在しません。採択しません。


ただそれだけのことです。障害者間で争いを起こしたいというインセンティブも、たとえそれが事実であっても、私にはありません。

楽している人がいる。周りにズルしている人がいる。それで良いではないですか。


私はジャーナリストではない。

真実を知りたい、暴露し、白日の元に事実を突き付けたい、そういう承認要求(他人に自分を知ってもらいたいという感情及び要求、コメントとか匿名で書く人の心理的要求はこれ)はありません。


ズルしている人はいる。ズルしていない人もいる。人は人。それでいいじゃないですか。

私はそれで怒ったりしないもの。行動経済学の罠には嵌(はま)らないのです。


相対価値というのはあまり意味がありません。それはただの猿の本能。アリストテレスの言うただの快楽。

他人の障害者が私のレポート記事で世間に楽してるのバレて障害年金を打ち切られる。


所得がゼロになって破産する。

すると日本人はみな快楽に耽(ふけ)けれる。だけど私は相対価値などもっていません。そんなことしません。


その人が破産すると私の所得は増加しますか?私の地位は上昇しますか?しませんよね。

それは相対的に見て、あいつよりはマシになったというだけです。無意味です。


私の貧しさ自体は絶対評価すべきであり、それは一切変わってないのです。

なぜなら、他者が蹴落とされる瞬間を見ただけであり、自分の社会からの評価は一切変わっていないのだから。


自分が努力していないのだから当たり前です。

他者は他者であり、私が見るべきは私自身の努力量だけに過ぎません。


長期的に見たら人間の精神性と所得は一致するのだから、一時的に楽していても努力していなくても(その楽さで、ぬるま湯で生きていけると勘違いを起こすと)

その後も人は努力をしないのだから、その人の精神性とその人の所得水準は長期的に見れば符号するのだから、どうでもいいのです。


文集砲みたいに他人を不幸にしたくはありません。

テーマとしてはジャーナリスト的であり、ルポルタージュ的でもあり(そういう書き方もできる、そういう主観的本が多い)、美味しいネタだと思うし、その意見は適切です。正しいです。


しかし興味がありません。私は上を見ていたい。社長室で勤務していたとき、社長はほんとすごかった。

目にくまができてた。でも、膨大な仕事を一人で全責任を一人で負って、仕事をなされていた。


社員をクビにするときも一人で全部汚れ役をやっていた。

でも、それをしないと会社が潰れるから、誰かが汚れ役をしなければならなかった。


私は彼に憧憬の念を持っていたし、社長に、黒須さん、あなたはまだまだ努力してませんよ

と言われても、彼を見てしまったら、俺は努力してこなかったんだ。甘えていたんだ。


と自覚せざるを得なかった。それほどに社長と私では人生に対する向き合い方が違っていたんです。

社長のほうが人生にも、そして社会に対しても誠実だった。


私は不誠実だった。あの高みへと行きたいんです。

日本ガーとか障害者ガーとか横や下は興味がないんです。興味あるのはあの高潔な精神性であって、高みなんです。


もっと高尚に生きたい。社長のところまでその高みまで行きたい。

私もあなたと同じだけ努力してきましたよ。1日16時間労働してきたよ。と言いたい。ただそれだけなんです。

高尚で勇ましい生涯こそが、後世子孫への最大遺産だと思います。


まさにその通り。だからウチのブログはつまらないと思う。

暴露とかしないから。刺激もないから。黙って耐えてるだけだから。


日々の努力の積み重ねを説いても人は努力しないものだし、それでも日々の積み重ねがとても大切なことだということを私は身を持って知っている。

だからそういうつまんない記事を今後も書いていきたいと思っています。


岩波文庫のプロ倫だったか、ヘーゲルの歴史哲学講義だったか忘れたけど、あれのあとがきとかマジで誰も読んでないと思うけど、あれすんごい日本語だし、ああいうので飯が食えたら最高だと思ってます。

50年も前の日本語をそのまま掲載する岩波もなめとんのかと思うけど、ほんとすごい!すごいよ!


P.S.


なんか、3度加筆したら、クオリティ高くなりすぎたので(どんだけ仕事しとんねんw)、加筆した奴をnoteに上げておきます。

タダです。それと


8月15日に1,000円と2,000円の寄付が入りました。

今後もそんなに刺激の強い記事は書けないだろうし、書くつもりもないですが、楽しみにしていただけるのでしたら、こちらもがんばって記事を書き続けます。

寄付ありがとうございました。感謝いたしております。

(おしまい)