7月15日の寄付のコメント欄(備考欄)に障害者カーストについての記事が読みたい!と書かれていた。
☆☆☆
しかしここ40年ほど生きてきて、私が障害者と出会ったのは40年中たった1年である。
厳密には42年中1年間しか障害者と職場で一緒には過ごしていない。
残り41年間は周り全員健常者である。
よって障害者との関わり合いがない以上、カースト上位とか下位とかよく分からない。
正社員で2社8年働いたが障害者と出会ったのは1度だけだ。
全員非正規社員だった。彼らは仕事をこっちに振ってきた。
振ってきた仕事はすべて叩き潰した。丁寧に短時間でやり遂げた。
受け取ったらすぐ仕事した。で、すぐ終わらせた。そしたらまた仕事を振ってきた。
そのため、その仕事も(その人他部署の聴覚障害者の非正規社員なのだが)、また叩き潰した。
なんか仕事を上司から受け取ると、横流しして自分はまったく働いてないみたいで
(こっちは正社員で給料以上の仕事しないと出世できないので、ていうか、出世競争の相手全員健常者なんで、自分人事考課の資料もExcelで全社員分作ってた人なので、誰が競争相手なのかとか全部知ってて)
誰ちゃんが仕事してないとかガチでそういうのどうでも良くて、もらった仕事は徹底的に片付けることにしていた。
眼が見えなくなるまではずっとこれだった。
朝起きたら仕事をするために体調を整え、週末は翌週の仕事のために体調を整え、夜寝るときはできるだけ翌日の仕事の準備のために早く寝ることを心がけていた。
すべてを仕事のために捧げていた。
そしたら向こうの上司とウチの上司がなんか協議して向こうが平謝りしてて
ていうか、はよ次の仕事もってこいや!ゴルァ!
ってノリだったので、そういうのどうでもよくて、そのうち音信不通になって
同じ職場で働いてるのになんかしらんが、喋ることもなくなった。疎遠になった。
他部署の私に仕事を振るのを向こうの上司が叱責し、禁止したんじゃねーの?知らんけど。
こっちは損得勘定で働いてないし。給料以上働かないといかんのよ。だから誰ちゃんが何してるとか興味なかった。ガチで。
上司って1日24時間、年365日部下の仕事管理してんだから(彼らは彼らで個別の仕事も抱えてるのだが)、誰がどんな仕事してて誰がどんだけ成果出してるのかなんて、すべてバレている。
どうでもいいが上司は頭が良いのだ。
これはガチ。当たり前である。
逆因果使うならば、頭が良くマネジメント能力があり、優秀だから上司は上司に出世できたのである。
で、その人と会わなくなったので、また別に仕事を始めた。
障害者との関わりは42年中これだけです。あと残り全部健常者と仕事してます。
施設で1年間一緒に過ごしてたこともあったけど、自分ずっと勉強してたのでよく知りません。
ていうか、施設の先生が月に5つも資格試験受けさせる月があって、大体朝起きてから夜寝るまでWordとExcelの操作とか普通に簿記会計とか税務の勉強だけしてました。
合同就職面接会で26社が私に面接希望してきた。体一つしかねーんだつーの。と思った。
施設の先生が授業態度とかそういうのを面接する企業に教えてたんだと思う。
どうでも良い話だ。他者がどう動こうとか自己が高潔であれ。が一番大切なので、他者のゲーム(他人がどう動くかのゲーム)はさして重要ではない。
精一杯やったかどうか、精一杯生きたかどうかが重要なのだ。
だから障害者と関わる時間はありませんでした。
ていうか、職場だと、障害者だと見られてませんね。仕事中は。特に。
障害とかウザいんじゃボケ。はよ仕事しろや!
ってノリだったので、夜11時とかに配慮とかしてくれる人は誰もいませんでした。
成果こそが全てだった。だから私は成果を出すことにこだわった。
そしたら周りは出来る奴ばっかで、イケてる社員ばっかになって、私はその健常者カーストの最下位でした。
Yahoo!Japan?あんなの楽勝で作れるよー?ガハハ!
とか言うクラッカーやギークの方々とヒイヒイ言いながら働いてました。
私は最下層でしたよ。私はカスです。カスだからこそ上を見た。
彼らのようになりたかった。
だから他の障害者とかを見る余裕はなかった。
私は彼らハッカーや上司のようになりたかった。魅力的な大人になりたかった。
そしたら周りに障害者は一人もいなかった。
それだけです。
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