なんか障害者新聞名乗ってるのに、エロゲの記事ばかり検索上位になり、泣けてくる。
主要キーワードほとんど検索1位だ。
☆☆☆
Googleに書け!書け!言われるので、最近のゲーム遍歴についてでも書いてみる。
シュタインズ・ゲートやりたいんだけど、テレビを廃棄してしまったためやれずにいる。
だから仕方なくPCゲームばかりやっている。
いまやっている、というかやっと全クリしたのが、HULOTTE(ユロット)の嫁探しが捗りすぎてヤバい。である。
おもしろいのかと言われたら別におもしろくはない。
というか、3度目だし、シナリオ知ってるしで、週1でやる程度である。
じゃ、なんでHULOTTEのゲームやるのか。
私にもよくわかってない。
ただ、ここはすごく一生懸命な会社なので、ここが作ったゲームは好んでいるのだ。
HULOTTEのゲームの特徴は、完成度が非常に高いことである。
CG、立ち絵、システム周りの出来が非常に良いからストレスが溜まらない。特に原画家のクオリティーが高い。
それは良いんだけど楽しくはない。どちらかといえば、つまらない。
PCゲームのロールモデル(見本っていうか定型)であると言える。PCゲームの多数派はこんな感じなのだ。
では、HULOTTEのゲームの対局にあるのは何か。
それは車輪である。かの禍々しき拷問器具ゲー、法哲学ゲー。車輪の国、向日葵の少女だ。
車輪とか家族計画とかああいう奴ら。昔のラディカルな、過激な、尖った奴ら。
これが対極だ。
彼らは徹底的にアドベンチャーゲームの本質を理解していたと言える。
アドベンチャーゲームとはただ文章を読むだけのゲームだ。
で、たまに選択肢を選ぶことで、ストーリーが分岐するゲームである。
このジャンルの場合、一番大切なのは可愛らしいCGでも立ち絵でもない。
アドベンチャーゲームが読み物ゲーである以上、一番大切なのは、唯一無二の絶対的な偉大なるシナリオライターを擁するかどうか。
ただそれだけでしかない。
車輪はこれである。
史上最高のシナリオライターがすべてを救ってしまうゲーム。
車輪はあかべぇそふとつぅの最初の作品であった。
お世辞にもCGや音楽、システム周りが秀逸であるとは言えなかった。
でも、そんなのどうでも良かった。
なぜなら作品を執筆した担当シナリオライターが、当代最高のシナリオライターである、るーすぼーい氏であったからだ。
彼がすべてを救ってくれた。鬼才がすべてを助けた。
完成度が低かろうが、そんなのはどうでも良かった。
るーすぼーい氏のあのドス黒いニヒリズムの文章が読めるだけで、プレイヤーは幸せだった。
PCゲーム業界は常にトップレベルのシナリオライターが不足している。
だからHULOTTEのようなメーカーのが多くて(そのことについて彼らを批判すべきではない)、逆に車輪のようなゲームがむしろ稀なのである。
稚拙なシステムや下手な絵の美少女キャラ(別に絵なんて、ブスだろうがなんだろうがいい。)
車輪にとって、そんなのはどうでも良かった。少し下手だけど一生懸命描いてくれるのが伝わってくるし、素晴らしいキャラばかりだったからだ。
そして何より、あの当代最高シナリオライター、るーすぼーい氏の文章が読める。
ただそれだけで、ただそれだけで良かった。幸せだった。
車輪の4章の自殺者の叙述とか大好き。綺麗な日本語である。
こういうゲームソフトはほんとうに稀で、だけど私は30年来のオタで、むしろこういうゲームばっか持ってる。好んでる。やってる。
次、Ever17やろうかと思ってる。
3回目だ。
Windows10で動くのかわからんが、久しぶりにやりたくなった。
日本では最近すごい!とかとんでもない!とかいう形容をマジで神!
と言うことが良くある。
この「神」という言葉がインターネット上で最初に生まれたのは、私の知る限りいまから19年前である。
当時日本で最初の神が生まれた。
神ゲーEver17で初めて「神」という言葉がネット上で使われるようになった。
当時、ファミ通という雑誌があった。
ファミ通にはファミ通クロスレビューというコーナーがあって、毎週発売されるゲームをプロのレビューヤーが1~10点で採点し、ゲーマーは購入時の参考にするという企画があった。
当時、プレイステーション2で発売されたEver17は、それはもう酷い点数を付けられたものだ。
4人のレビューヤーは神のゲームに対して7点、6点、7点、6点を付けたのである。
神ゲーに6点とか普通にありえないのだが、まあ仕方がないのだ。
私も17年前にやってたとき、点数付けるなら4点か5点だったろうし。
仕方がなかったのだ。作った後、株式会社KIDは倒産したが、どうすることもできなかった。
しかし、一部のオタからなめてんのか!と苦情が入り、レビューヤーは最後までやってしまった。
Ever17を最後までやってしまったのだ。
神ゲーを最後までやり、彼らは翌週のファミ通で謝罪会見を開く羽目になった。そういう曰く付きのゲームソフト。
あれから19年の歳月が経った。しかし謎解きミステリー物理学アドベンチャーゲームとして、または衝撃系として、ここ19年間Ever17を越えるゲームは出てこなかった。無敗である。
Ever17は無敗であり、ただの一度も負けてはいない。いまも頂点であり続けている。
Ever17には5本のシナリオがある。最初選択できるのは4本までである。4本から1本選ぶのだ。
そして4つ全部やると5本目が選べるようになる。
最初の4本のシナリオは点でしかない。縦に点を穿(うが)つシナリオだ。
そして最終シナリオココ編は、4本のシナリオすべてをやった後でないと、分岐が選択できないようにできている。
それまでの4本のシナリオは点であった。縦のシナリオだ。
それぞれが時間軸において、単独の事象として形成され、イベントが発生し、経過していくのだ。これではお互いが干渉し得ない。
しかし、最終シナリオココ編は、4本の点を結ぶ横断的な面のシナリオなのである。
ココ編は面のシナリオであり、そして4本のシナリオすべてを横糸で結び合わせ全体像を形成させる。
そしてそれら結んだ線と、結ぶことによって描かれた絵を、上空から立体的・俯瞰的に見下ろすことで、ココ編によって、Ever17とはどんなゲームだったのかをプレイヤーは知ることになるのだ。
ちなみに私は、ココ編やってたとき、あまりのすごさに両腕が鳥肌になった。
神のゲーム、雑誌社に謝罪会見までさせてしまうゲーム。
それが最終シナリオココ編なのである。
ココ編にいくまではほんとうにつまらないゲームだ。
しかし、最終シナリオをやってしまうと、その評価は一変してしまう。
Ever17とはなんだったのかがわかるのである。結んだ線を立体的に見下ろすことで、どんな絵だったのかが分かってしまう。
点ではなかった。要するに、神のゲームだったんだけどね。
その後ネットで広まったマジで神!とかいう言葉。
これの語源を作ってしまったゲームである。
Ever17は騙しゲーである。騙されてくださいね。である。
(もうこれ以上の言葉はいらない、ネタバレなんかしないし)
全員で水中のテーマパークに閉じ込められ、脱出するのが目的のゲームなのだが、放っておくと水圧で建物が圧縮され全員溺れ死ぬ。そんな緊迫した状況なのだが、全員が協力し合ったりなんかしない。
助け合いなんてしない。仲間が助け合わない。裏切りと隠し事ばかりなのだ。
みんなバラバラ。むしろ溺れ死ねばいいとすら思っている。危険な目に、ワザと遭わせたがっている素振りさえあるのだ。
だからつぐみみたいな誠実な人は、いつも怒っているのだ。
全員が誰かが誰かに嘘を付き騙し合っている。脱出ルートなんて知ってても誰にも教えたりはしない。
疑心暗鬼に駆られる。そういうゲーム。
でも、その嘘は、実は優しい嘘なのだ。
誰かが誰かのために嘘を付いていた。誰かが誰かのために皆を騙し合っていた。行動していた。暗躍してた。
だからあのゲームをやる場合、言葉は要らないのだ。
プレイヤーはキャラと同じで騙されてくださいね!でいいのだ。
そういうゲームソフト。謎解きミステリー物理学アドベンチャーゲーム。
ここ19年間無敗のゲームソフト。
これをやるかれいんどっぐのゲームをやるかで迷ってる。
いま、そんなところ。
関連エントリー:るーすぼーい氏は天才ではない。彼は鬼才。文豪の鬼である
(おしまい)