ここ5年ほどのインターネットの潮流は、底辺が増えたことである。
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ネットを見ていると実に痛々しいのだ。可哀想に。
哀れだなと思っている。
日本だけでなく世界全体での潮流なのだが、インターネットでは、匿名の人たちがマウントを取るようになった。
具体的には、婚活をしていた30点の女性が25点の男性に、食事後割り勘にしようと言われた!
男が女に奢るのは給与に格差があるのだから、当たり前だろ!許せない!
などと言う。
また、フェミニストの45点の女性に対して20点の男性が、ババア先輩行き遅れてくやしいのう!くやしいのう!
などと失礼なことを言う。
彼らが見ているのは自己ではなく他者なのだ。
昭和の場合、いい歳した大人は上司が半ば強制的にお見合いさせるため、45点の男性は同じく45点の女性とお見合いし、結婚した。
そしてお互いに他者ではなく自己に磨きを上げることに重きを置いた。
自分という45点の人間には45点の女性がちょうど良いし、お互いが努力をし、助け合って互いを磨き上げることで
80点にも100点にもなった。魅力的な人になる努力を惜しまなかったのだ。
令和の人は社会に出て25点の魅力しかなかったならば、他者を批判するだけで、己を磨き上げる努力をしないのだ。
常に自分より魅力的でない異性を探し、批判をすることで、時間を浪費している。
逆に80点くらい魅力的な女性はお互いに助け合うということを知っている。
一回目のデートでたとえ割り勘だったというだけで、発狂したり、イキったりしないのだ。
相手が困っていたら助け合える。
この当たり前のことができる人(インターネットにはこの当たり前ができない人が多い)
だから彼女らは結婚できるし、ネットで発狂している女性とは、そういうことなのだ。
売れ残る男性女性が増えているとはそういうことなのだ。
彼ら彼女らは自分の快楽に浸っている。そのために、他者の気持ちを踏みにじる。
相手の気持ちを理解しようとしない。自分からコミュニケーションが取れないのだ。
だから自分が!私が!俺が!俺は!とまさに犬の遠吠えのように去勢を張るのだ。
それは自分が魅力的な人間でないことを薄々気づいているからに他ならない。
令和のネット民はゲーム理論を知らないで生きているのである。
人生というゲームは1分1秒が惜しいものだ。脇目も振る暇なんかないのである。
そして、その時間は、他者に使うのではない。自己に使うのだ。
自分を少しでもまともな人間に磨き上げるため努力をするのが、この世という場所であり、ゲームの内容なのだ。
インターネットには魅力的でない人間が多い。彼らが多数派だ。
だから彼ら彼女らから現金を巻き上げるには、1分でできる思考法とか、成功法則とか(そんなものはない)
楽して1日3分間ダイエットとか、非科学的(役に立たない情報)ばかりがアクセスされるのである。
インターネットの住民は努力というものを知らない。
努力には2種類ある。それはこの記事で書いた。
さらに努力とは、そう簡単なものではなく、それを身につけることで圧勝するものなのである。
たとえば私の専門は経済学である。
経済学を学びたいネット民が、どうやって無駄なく効率的に経済学を学べば良いですか?
と聞いてきたら私はこう答える。
とりあえず論文1,000本読んでみようか。または、本屋さんに売ってる経済学の書籍全部読んでみようか。
100冊くらいだから3,000時間も掛ければ読めるよ。
と言うだろう。
努力ってそういうことなんだよ。この世のゲームはどの専門分野もそう。
専門家とは全部これ。努力って3分とかじゃ意味ないの。
最低3,000時間はやらんと差が出ない。
こいつできるな。ヤバいな。という人は、大体最低でも3,000時間から5,000時間は努力をしている。
5,000時間努力してみようか。
とりあえず経済学の本100冊読んでみようか?
と言ったとき、25点の50代の未婚の彼女なしの彼女いない歴と年齢が同じ人は、すぐ努力を辞めてしまうのである。
というか、それを聞いた途端、努力を諦めるのだ。
そして20代前半くらいの水着の女性を5人位並べてこいつは80点、こいつはブスだから65点とか
ネットで論評しているのである。
そういうこと。
これがこの世のルールであり規則性であり、ゲームなのである。
とりあえず、1つの分野で最低3,000時間。やると決めたらいまやること。いまやる。すぐやる。できるまでやる。
他者を批判してる暇なんてこの世にはないんだよ。ほんとうはね。
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