障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

人間にとって努力とは何か?

人間にとっての努力の有効性について考えていた。


☆☆☆


人間にとって努力とは何か?努力とは努めることであり、人が生きる上での義務である。

意味のあることであり、また、時期によってはまるで意味のない行為でもある。


なぜ、天皇陛下のご家族は皆偏差値が高いのか?

優秀な大学に進学なさっているのか。

人間は遺伝によって優秀な子も生まれてくれば、能力の低い子も生まれてくる。


それはどこの家庭でも一緒だ。

もちろん能力の高い両親のほうが、能力の高い子供が生まれてくる確率は高まる。


およそ10倍高くなる。

だがそれは庶民の家から天才が生まれる確率が1%だとしたとき、優秀なご両親の元では10%。

10人に1人が天才として生まれてくる。その程度にすぎない。


なのになぜ天皇陛下のご家族や、ゴッドマザーと呼ばれる奈良県の佐藤さん家のように

日本一偏差値の高い東大の理3(医学部)に息子3人を合格させられる人たちが存在するのか?


答えは簡単であり、脳科学の論文に書いてある。

遺伝で能力が低かったとしても脳は自分で育てられるからだ。


人間の動体視力が小学校の低学年程度でもう発達が終わってしまい、高校生になってからイチロー選手を目指しても既に遅いように

脳には発達する時期がある。


脳のなかの脳と呼ばれるもっとも高性能な脳を前頭前野と呼ぶ。

おでこの奥にある部分だ。

ここが発達する時期は生涯で2度しかない。


1度目は生まれてから3歳までの時期。

2度目は小学校5年生(10歳)から大学受験(18歳)までの時期である。

脳科学の本にはそう書いてある。


2度目の発達期間の終わりが18歳と断言サれていたかどうかは忘れてしまったが、2度目に伸びる時期は10歳からであり

成人してからではもう遅いのだ。


高卒で働き始め二十歳くらいになると、自我というものが芽生える。

いままでは親や学校の先生がああしろこうしろと言ってくるから自分で物事を考えずに、言われたことをやってきた。


しかし働き始めると自由になるのだ。誰からもああしろこうしろとはもう言われない。

休みの日に早く起きろなどとは誰も言ってこない。一人暮らしなら尚更だ。


疲れていれば夕方まで寝て、飯食ってまた寝ても誰にも怒られない。

その頃、20歳頃から人は自分の存在意義を考察し、社会の役に立ちたいと思ったり、世のため人のために生きられる人間になれればと願うのだ。


この頃から自我が芽生え、人は一生懸命に生き始める。主体的な努力を開始するのだ。

しかしながらもう遅い。


この20歳時点で努力を始めても、もう前頭前野は発達しない。

こんなことを言うと社会人になったあとも努力して大学に入り、質の高い職を得た人だっているだろう?

と言う人たちがいる。


しかしそれは稀である。全体の1%に満たない人たちであり、元々遺伝で地頭の良かった人たちである。

一般的な人間は出目が悪く自分で自我が芽生えて一生懸命に生きよう!


となっても、その時点でもう遅いのだ。残りの60年ほどある人生は残りカスでしかない。

18歳から一生懸命働いて39歳で生活保護を受給している私が言うのだから、少しは説得力が高かろう。


では、平均寿命に達する残りカスの60年の人生で、私たちはどう生きれば良いのか?

考えられる手立ては2つある。


一つは頭脳を使わない仕事をすればいいのだ。

要はブルーカラーになればいい。

水道管の工事や電気工事、家のリフォームやユニットバスの交換など、AIやロボットでは不可能であり人と社会の役に立てる仕事は腐るほどある。


ブルーカラーは3K(きつい、汚い、危険)と呼ばれているから、需要があるのに供給されることが少ないため、所得が高止まりしている。

よって脳を鍛えられる時期に鍛えられなかったのなら、体を使って世のため人のために生きればいい。


そこそこ高い所得も得られるし人生を楽しめるはずだ。

では、私みたいに馬鹿であり、目と耳を失いブルーカラーにすらなれない人間はどう生きればいいのか?


とても簡単である。

現代の日本は資本主義社会であり、また民主主義社会でもある。


資本主義と民主主義は相反しているのに、この2つの社会システムを日本は採用している。

資本主義社会とは競争社会のことである。


自由経済の基で企業が競争し合うことで製品及びサービスが改良されていく社会のことである。

世界中で資本主義が標榜されているため、食品会社も世界中で競争している。


大量生産によるコスト削減と品質改良を常に行っている。

なので近所のスーパーへ行くと、パスタが1kg260円で売っているのだ。


社会主義の計画経済ではないため、果てのない競争によって、生活保護者の私は湯でパスタ1食3人前を60円で食べられるのである。

食パンも6枚入りで148円程度であり、食品会社が競争しまくっている恩恵を受けている。


しかし資本主義社会では規制を取り外すことによって競争させているため、マイクロソフト社のビル・ゲイツAmazon創業者のジェフ・ベゾスのように一握りの優秀な人間に、ほぼすべての富が流れるよう制度設計されている。


出目(生まれた場所)や遺伝によって頭脳が決まり、その頭脳によって所得が決まるため、資本主義社会において努力とは無意味である。

能力値が固定され決まっているのに、努力などしたって無駄なのだ。

しかしこれは資本主義社会においての話だ。


我が国日本は資本主義社会でありかつ民主主義社会である。

民主主義の大原則はなんですか?


多数決ですよね。

戦前の日本は所得の高い人間、しかも男性にしか選挙権は付与されなかった。


だけど現代社会においては、18歳以上であれば誰でも選挙に行くことができるのだ。

この制度はあまり知られてないが、思いっきり貧乏人優位の制度である。


なぜか?

なぜならビル・ゲイツジェフ・ベゾスも目と耳の障害者の私も、同じ1票だからである。


馬鹿も天才も貧乏人も金持ちも全員1人1票である。

脳の優劣はまるで関係がない。

そして日本はGDP国内総生産国民所得)の4分の1が財政支出である。


成人したらほぼすべての人間は脳力が上昇しない。

もう無理である。人間にとって努力とは無意味な行為だ。

しかし参政権(選挙へ行く権利)さえあれば、まったくもって金には困らない。


いまの日本の選挙は1億2,000万人の国民から100兆円集めて自民党支持者のたった17%に、一人あたり490万円ずつ配る行為である。

年490万円あれば余裕で食べていけるのだ。


私の場合生活保護者なので生活保護を存続してくれる政治家を選出するだけで、(頭は馬鹿でも)食べていける。

もう一度言う。努力は無意味である。

脳力はもう伸びない。


でも別に困りはしない。だって日本は民主主義の国なのだから。

1票の価値は500万円程度あるのだから。その金を、権利を、行使すればいいだけなのである。


それで十分生活できてしまうほど重税を納めている人間が、我が国の国民なのである。

とても簡単なゲームだ。笑えるほどにね。

ハッハッハ

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