障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

盲ろう者になって大学行って1週間で辞めた件についてwwwwwwwww

大学、それはお金を払うところ。会社それは仕事をすることで、お金を稼ぐところ。この二つになんの相関関係もないと、最近考えています。


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盲ろう者弱視・難聴障害者)になって7年経ったとき、私は大学生でした。


大学は1週間通いました。そのとき正社員のサラリーマンやってたので、自分の稼ぎで学費を払っていました。でも、1週間で辞めました。


辞めた理由は講義を受講したとき一番前に座っても、全部見えないし、全部聴こえなかったからです。


1日6時間くらい講義聞いてたと思います。それを5日間続けました。全部見えない、全部聴こえない状態で、6時間過ごすのはマジで時間の無駄でしかなく、仕事したくてうずうずしてました。


で、5日目の講義が終わったとき、熱出して保健室で寝込んでました。自分あの頃メンタルすごく弱かったから、大学の保健室のベットで寝ながら、涙がぽろぽろこぼれていきました。


いまなんか100社程度企業に落ちてもがっはっは!で済むのですが、20代後半だった当時の自分は、ほんとうに心が弱くて、いちいち落ち込んでいました。


結局のところ私は勉強したいのではなく、お金を稼ぎたかったんだと思います。


お金を稼いで自立したかったのです。
自分で稼いだお金で生活したかった。そのため、企業に評価されるためにはどうすればいいのかと、考えていたフシがあります。


その一環が大学だったということです。文系の場合、仕事と大学はほとんど関係性がありません。


社会に出ても経済学や心理学は役に立ちます。だけど、お給料と直結するわけではありません。


所得を増やしたいなら、大きな本屋さんへ行ってスマホアプリの開発の専門書を購入し、家で20本も作れば盲ろう者だろうが、障害者だろうが内定できます。


つまり、企業が求めているのは労働生産性の高い人材であり、専門性の高い人材なのです。


性格が素晴らしいとか人格者だとかそういうのも面接で見ますが、大学へ行くと人格が良くなったり、素晴らしい性格になるのかといったら、別にそうでもありません。


昔、千葉県の冷凍食品工場で働いていたことがあります。たまに機械に指を挟まれたりして、指から血がダラダラ流れるのがうっとおしいのですが、仕事が忙しいため、痛みがあまりありません。


朝5:30分から夕方まであふぉみたいに働いていました。体脂肪率が7%くらいまで落ちました。


工場の機械はすごい熱を持っているから、毎日滝のように汗をかき、無我夢中で働いていました。人とは何か。社会とは何か。そういうのを考えながら、朝から晩まで単純作業をしていました。


ああいうところのほうが精神や人格は磨かれるし、ついでにお給料ももらえるし、どう考えても大学よりも精神鍛錬、体力向上、人格形成、ついでにお給料ももらえて食品工場の社員(社会人)ともコミュニケーションが取れるため、いいことばかりだと思っています。


そのため今の自分は大学とは「お金を払うところ」、会社とは「お金を稼いで、そのうちの3分の1程度が自分のお給料となって、給料日に銀行口座に振り込まれるところ」だと考えています。


盲ろう者の仕事も健常者のそれとまったく変わりません。ただ単に、職場でコミュニケーションを大切にし、協調性を保ちながら、チームで成果を出していくだけです。


ということで大学へ行く意味がまったくなかったため、速攻で辞めました。


大学は教養を高めるところだと考えています。そして、直接的に所得と直結するのは、理系が就職に有利なように、企業が求めているのは仕事で役立つ、多くの売上高を生み出す「高い専門性」なのです。


そして、いまや専門性は本屋で分厚い専門書を買って、アプリを自宅で開発したり、ネットで分からないところを調べたりすることで高めることができてしまう時代なのです。


東大とか京大とかエリート教育やっている大学でない限り、また、科学者や物理学者を輩出する理系の学部でない限り、大学に行く必要は特にないと感じています。


専門性は多額のお金を払って身に付けるものではなく、自分で調べて身に付けるものです。


そういう意味では専門学校もあまり意味がありません。ハッカーやウィザードになる人は、独学だろうと大学・専門学校へ行こうと、行かなかろうと、なる人はなってしまうものです。


パソコンに詳しい人はだいたい自分で調べて、ドンドン詳しくなっていきます。自分も大学で受動的に勉強するという夢をさっぱりとあきらめ、自分で独学で勉強する癖を身に付けました。


それはそれで、大学を1週間で辞めてしまって、よかったのではないかと思っています。


いまでは「俺さんでないとできない仕事だから、やってくれないか?」と言われることもたまにあります。それは私しか持っていない専門性を自分が保持しているということです。


専門性を磨くことを意識しているのであって、どこの大学を出ようが出まいがあんまり意味がないと思っています。


向上心さえあれば、専門性を高めるのに、お金は必要ないのです。盲ろう者にとっても、いい時代になったものです。

そう私は考えています。