障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

盲ろう者は哲学をどう学ぶのか?

私は15歳で耳がほぼ完全に聴こえなくなったため、仕方がなくただひたすら本を読んでいました。

そして今度は18歳で視力がほとんど見えなくなりました。

めがねをかけても視力が0.1までしか上昇しないのです。よって、弱視難聴の盲ろう者です。

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仕方がないから20年くらい本を読んでいました。

そしたら30歳を越えたあたりから、いつの間にか哲学ができるようになっていました。

耳が終わったため、私は他者とは文章で会話をします。

言葉の軽さ、深み、重さ。軽薄加減。思考の論理性と相手が何を考えていて、何のためにその文章を書いているのか、私に何をさせたいのか?

などが読めるようになってしまったため、少し落ち込んだりもしたのですが、あきらめて哲学的思考を受け入れる覚悟を決めました。

哲学はどうやって学ぶのか?

お勧めの学問ではないものの、これを勉強しないと「形而上学」はさらに理解不能に陥るため、少し書いてみようと思います。

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前回のエントリーで哲学とは論理を組み上げては壊す行為だと述べました。

思考実験を行うためにはこの行為を繰り返し、残った論理が本質であると書きました。

これが自然にできるようになるのを哲学と呼ぶのであれば、哲学できるようになるためにすることは、まず第1に岩波文庫の青ラベルを読むことに他なりません。

あの念仏のような難解な文章をただひたすら読みまくることです。

岩波文庫の青ラベルは読んでいてもまるで理解できないと思います。
私もそうでしたし、理解できなくてもいいのです。

変なぬめり気を感じ取れれば、それだけで問題ありません。

青ラベルを読んだあとに一般的な書物や職場の同僚からのメールやネットの記事を読むとまるでゴミを見ているようになり、相当に落ち込みます。

私は他者を差別しているのかと滅入ることがあります。

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夏目漱石の文章がなぜ凄いのか?

それは、彼の文章には無駄な文がひとつもないからです。
上質で重厚で芳醇です。岩波の青ラベルもそうで大切なことしか書かれていません。

そのため、一般的な文章と比べて意味の含有量が圧倒的に多いのです。ただ、あまりにも多く、また、難解なため理解不能になってしまうのです。

だから、難しくて意味が理解できなくても、とりあえず「読む」ことです。

読みやすいのはドイツの哲学者「ショウペンハウエル」の書物です。100ページちょっとしかないため、かなり読みやすいです。

そこから、カント、ヘーゲルアリストテレスと読みまくることで変なぬめり気がさらに上昇します。感覚が研ぎ澄まされていくというか、理解できないのに、理解できてしまうという感覚にとらわれます。

このような感覚にとらわれ、際悩まれても、とりあえずは無視しましょう。

ここまで来ると、相手が何を考えているのかが表情や仕草や声の音韻や文面から、たまに読めてしまうときがあり、他者への短絡的な思考実験により興味をなくすことがあり、協調性が低くなり、それは相手の打ち手が読めるからであり、色々と落ち込みます。

だけど、深淵へと到るためにはまだまだ先があります。

ここからは論理の本をたくさん読みます。帰納法演繹法についてもとりあえずは一通りマスターしておきます。

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その後、マンキュー経済学のような一般的な専門書を読み、1つの事象に対して20時間程度思考していると、なぜか本質と呼ぶべきものを掴み取ることができるようになります。

そして、自分の生み出したそれが本質なのか?を知るためにさらに思考実験を繰り返すことになります。

そうすると、いつの間にか哲学していることになります。
ここで初めて深遠の淵へようこそ!となりますが、あまりお勧めはしません。

哲学は、人生が楽しくなるのではなく、深くなります。
思考することに対して時間をかけるため、他の時間が奪われてしまいます。

機械的・理性的に動くことになるため、自分の怠惰な精神を決して許しませんし、他者の感情を無視することもありますし、そもそも、他者に関心を抱かなくなってしまうときもあります。

ひたすら思考し、論理を組み上げては壊すため、自分という人間が何者なのか?

また自分を機械的に動かすことができるようになり、お金とかどうでもよくなり、感情を理性で制御することができるようになり、イライラしなくなってしまい、人生が楽しいんだか楽しくないんだかよく分からなくなるときがあります。

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ただ、ひとつ言えることは、就職活動時の面接のときに論理を組み上げて、哲学すると「頭良すぎる」「頭おかしい」と言われ、確実に面接試験に不合格になります。

協調性0と見なされるためです。

楽しいけれども苦しい、そしてその苦しさすらもが理性で制御されてしまうのが哲学です。

だから、あまり人にお勧めする学問ではありません。

おもしろい思考実験なのは確かです。