メタ・メタフィシカ、形而上学について。
形而上学とは何か?
思考実験により出てきた本質が哲学とするならば、形而上学についても簡単に説明することができるため書いてみようと思います。
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形而上学とは社会の深遠の淵にある循環を見つける学問のことであり、哲学の一種です。
アリストテレスの言葉を使うならば
『親を殺すときは、ついてに子供も殺しておけ』
となります。
アリストテレスの生きていた時代から1,000年後の日本において、隆盛を誇っていた平家は、幼少時代の源頼朝と源義経を助けてしまいます。
その後、何が起きたのか?
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自分達の父親を滅ぼした平家を今度は大人になった源頼朝と源義経が滅ぼし、鎌倉幕府を築くことになります。
形而上学は社会の根底に流れる循環を見つけ出す学問です。
循環を見つけ出したあと、それをアリストテレスのように絶つのか、それとも逆循環にするのか、利用するのかは、哲学者の自由意志となります。
形而上学を社会で使う場合、たとえば現代日本において非正規社員は自分達が非正規社員だということについて、自分達に給料を支払っている経営者を批判します。
ジャーナリストはそれをルポとして文章化し、本を販売しています。
この循環においては、非正規雇用が社会問題になればなるほど利益を得るのは、本がたくさん売れるためジャーナリストのみとなります。
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グローバル化は物言う株主を生み出しました。
物言う株主は経営者に対してグローバル化以前よりも、多くの利益を求めるようになりました。そして、利益の出せない、あるいは不祥事を起こした企業経営者は、すぐにクビが飛ぶ不安定な雇用形態へと変質しました。
形而上学を使うならば、株主が多くの利益を求める以上、非正規社員が自分達を雇っている経営者を非難しても、正社員になることはあり得ません。そのような循環は起こりえません。
それなのに、どこにどのような循環があるのかも分からず、自分達よりも解雇リスクの高い経営者を非正規社員が非難していることは無意味だということを形而上学を使うことで気づきます。
だから、儲かっているのは本が売れるジャーナリストだけであり、循環を生み出したいのであれば、非正規社員は正社員採用試験を受けるか、労働生産性を高めるべく、専門性を高め、企業経営者にウチにきてほしいと言ってもらえる程の高い専門性を保持するという方向に努力しなければいけないのですが、誰もそれを知覚しないこと、行動を起こさないことに問題の本質があります(関連エントリー)。
つまり、どのような循環が発生しているのかを誰も気づいてはいないのです。
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形而上学を使った循環探しは哲学と同じく、一つの事象に対して20時間程度思考することを求めます。そうすることで、勝手に循環を知覚することができるようになります。
それは哲学しているときに循環も見つけることができるようになるという感覚です。
そのため、形而上学の勉強は哲学の勉強をしているとひとりでにできるようになります。
哲学ほど苦しいものではなく、たとえば、リオオリンピックの男子体操団体で日本は金メダルを獲得しましたが、彼らは体操が好きで体操を始めたわけではありません。
循環はその逆となります。
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男子体操団体の選手の親または兄弟は、山室光史さん以外全員が体操経験者でした。
5名中4名が親または兄弟が体操関係者のため本人の意思と関係なく体操を始めています。
よって、形而上学的循環を使うと子供が自発的に自分の大好きな体操を始めたところ、好きが嵩じてオリンピックで金メダルを獲得するまでに至ったのではなく、親の好きな体操を子供が物心つく前からさせていたことから、気づいたときにはすでに体操の能力が周りの子供より突出していたため、金メダルを獲得するまでに至ったのです(関連エントリー)。
社会にはどんな循環があるのか?
また、どんな循環を生み出すと社会はよりよくなるのか?
悪循環を見つけた場合には、どうすれば、それを絶てるのか?
を哲学するのが形而上学です。
こちらは哲学ほど他者に非難されたりすることなく、楽しいのですが、哲学ができないと形而上学は使いこなせません。
「思考の論理的循環の組み込み方法を学ぶ学問」が形而上学となります。