障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

学校の平等教育は子供を差別主義者に育てる。

学力の経済学を読んでて思ったことなんだけど、人間って生まれながらに不平等なんだよね。


☆☆☆


たとえば、記憶力や頭の回転速度が遺伝的に優れた子もいるし、逆に頭がそれほど良くない子もいる。

もしも障害など負って生まれてきたら最悪である。


障害者の平均年収は健常者の約半分だから、同じだけ努力をしていたら年収は半分になる。

この世は遺伝的な知力にしろ、生まれる家庭の財力にしろ、ビル・ゲイツも言ってるように不平等なのだ。


で、教育経済学の研究結果の一つとして、この世は平等だと教えられて育つ子供は差別主義者になる

という研究結果が出ているのだ。


たとえば小学校や中学校の運動会で順位を付けずに、みんな一緒に手をつないでゴールする。

みんな平等でみんな一緒という平等主義。


教育経済学者はこういう学校と先生を極めて批判的に見ている。

なぜなら平等主義教育を受けて育った子供は、差別主義者になることが統計データとして有意な数値が取れているためである。


なぜ、平等主義教育を施すと差別主義者が育つのか?

超簡単ですよね。

だってある子供に1時間数学を教えたらスラスラ解けてしまう場合でも、勉強のできない子に同じことをさせても理解が捗ることはないのだから。


人間の能力は平等ではないのだ。

平等主義教育で育った頭の良い子は、勉強のできない子に対して「お前は努力してないからそんなに勉強ができないんだ」と感じることになる。


ほんとうは脳力には個人差があるから、同じ時間だけ勉強しても学習成果やテストの点数にはバラつきがある。

だけど平等教育を受けた子供はそれが分からないのだ。


わからないから、アイツは努力してないと考える。

こんなことも分からないのか?と差別を開始するのだ。テストの成績が悪いのは努力してないお前の自己責任だ。

と差別するようになるのだ。


誰だって努力すれば世界一足の早いウサイン・ボルト になれるのか?誰だって努力すればノーベル賞を受賞できるだけの頭の良さになれるのか?

と言われたら、なれないんですよ。現実では。


いつか、過半数の子どもは夢をあきらめなければならない日がくるのだ。人間の才能は生まれや育ちで決定付けられているのだから。

自分で自分の生まれる家柄を選べるわけでもないし、そもそも遺伝的に優れた才能を持って生まれてこなければ得られない能力だってあるのだから。


誰だって努力すれば行けるところもあるし、行けないところもある。

だから人間は平等ではない。

平等ではないことを知っている子供のほうが人の心の痛みを知ることができる、思慮深い大人に育つのだ。


努力したって私みたいに目と耳壊れれば305社に落とされて精神科行って生活保護受給するまで落ちる人間だって出てくるわけだ。

努力とかあんまり意味がない。って状況だってあるわけです。


意味のある努力もあれば、意味のない努力もある。

全員が努力したからってプロスポーツ選手やアイドルや東大生になれるわけではない。


全部狭き門だし、なにより才能がないとなれない職業ってものがある。生まれながらに人間は不平等なんです。

これを知らないと「お前は努力が足りていない」「お前の自己責任」とか言う恥ずかしい大人が育つわけです。


教育経済学者からすると統計学的に有意なデータとして平等教育は差別主義者を育てている。

という規則性・法則性が確認されているため、彼らは平等教育を批判しています。


合理的・科学的に批判しているわけです。感情ではなく論理(法則性)の基に彼らは批判しています。

まあ、基本的に人間社会は不平等にできているってことです。

覚えておきましょう。