障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

障害者は生産性ゼロでいい。職場で働く必要はない。

一昨日、微熱が出てそれからずっと寝込んでいた。


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そのため、ブログを書くことができなかった。家で倒れて起き上がることができない。

たまにPCを起動させてブログの解析をしていると、障害者の生産性についてもっとよく知りたい、というニーズがあることを知った。


なので、まだ不調なのだが、知っていることを少しだけ書き出してみようと思う。

まず初めに、障害者に生産性はない。或いは健常者と比べて圧倒的に低い。


障害者団体はこの事実を認めようとしないばかりか、事実を述べただけで障害者に対する人道的な批判だと解釈し、勝手に発狂し始める。

怒り狂うのだ。


労働生産性の話、経済学的な話をしているのに、人道的な話に置き換えるのが彼らのやり口だ。

だからちっとも問題が解決しないし、問題が継続するのだ。

よって、あえて事実だけを述べる。障害者の生産性は極めて低い。


私はサラリーマン時代に入力業務をよくやらされたが、健常者の3分の1以下のスピードでしかデータをパソコンに入力することができなかった。

それだけではない。


弱視視覚障害者であり、中心視点の見えていない自分では丁寧に一生懸命入力したとしても、一つずつずれていたりして、データが全部間違いなこともあり、上司に提出しても信頼されなかった。


私が入力したものを、自分も見直ししたあと提出したのに、まったく信頼されず、健常者の社員がダブルチェックするのである。

健常者が入力業務をやったら、一発で上司は受け取ってくれる。


自分が入力したのでは、どれほど努力しようが視覚障害者だというだけで信頼されず(当たり前だ)、健常者もダブルチェックするため、業務が2倍になってしまうのである。


人より3倍遅く入力を終え、その後、ダブルチェックという業務をもう一つ発生させてしまうのだ。

明らかに生産性が低いと言わざるを得ない。

努力では病気には勝てないのだ。


一番問題なのは上司である。

彼らは障害者の使い方を理解していないのだ。そういうマネジメントの知見がまるでないのだ。


そして、障害者にもできそうな簡単な業務を振るのだが、この場合、視覚障害者にデータ入力の業務をさせるとか、普通に考えたら明らかにミスマッチなのである。

でも、他に簡単な業務がないのだから仕方がないのだ。


問題はその障害者の不得意なことや特技を理解するのに、3年とか5年も掛かってしまい、その間、障害者は能力を発揮することができないだけでなく、会社からも上司からも評価されないから、正社員になることすらあり得ないのだ。

信頼関係の構築に5年も掛けるとか馬鹿げたものである。


つまるところ、障害者と企業は相性が最悪に悪いのである。

こういう話をすると、障害者のマネジメントができる上司が増えればいいのでは?

という反応がある。


だが、それはいつの話なのか?

いつ日本の中間管理職がそれぞれの障害区分、視覚、聴覚、精神、知的、肢体不自由、すべての区分の障害者のマネジメントができるようになるのだろうか。

障害者と一口で言っても病気は何十、何百とあるのだ。


障害区分があまりに多すぎてすべての部位の障害の人たちに適切なマネジメントなんぞ行える人間は、日本に一人もいないのである。

だから実質的に障害者は職場にいてもいなくてもいいのだ。


私が入力業務したり、会議室の予約を取ったり、書類整理なんぞやるくらいだったら健常者がやったほうが3分の1以下の時間で、正確にやってくれるのである。

そもそも、障害者を雇うこと自体が間違いだということに企業も日本政府も気づいていない。


実質、椅子に座っていてくれればそれでいい。放置してくる上司もいるのだ。

自分はそういうとき会社で8時間ネットサーフィンしてたり、勉強用のプログラム書いてたり、学習用のWebサイトを制作したりしていた。


そのスキルがいま経営者になって活きているわけだが、基本的に障害者では企業内で高単価の仕事を任せてもらうことは不可能なのだ。

努力は無意味なのだ。生産性は実質ゼロに等しいと言う事実をまず知るべきだ。


東証一部企業に聴覚障害者の経営者がいますか?

一人もいないよね。


東証一部企業に全盲の目がまったく見えない本部長がいますか?

一人もいるわけないじゃん。ね。


まずは現実を認識すべきなのだ。努力ではどうあったって無理なこともある。

生産性ゼロというか、もう、会社に来て、ただ椅子に座っててくれるだけで良いです。


って会社すらある現実を知るべきなのである。要するに、障害者は起業すべきなのである。

自分にしかできない仕事だけをすればいいのである。


障害者の作家が一般的な小説を書くと思っていますか?

書くわけないじゃん。ね。

少し考えれば分かることである。彼らにしか書けないエッセー本(日記本)しか書かないでしょ。


だって、エッセーだったら健常者がいかに努力しようとも、障害をもっていない丈夫な体の人間では、書けないのだから。

頭のいい作家さんの障害者は、自分の強み以外では勝負していません。

当たり前です。


前述したように、健常者と同じ土俵で勝負したら負けるから。

だから彼ら強者が、高生産性の人たちが絶対に入ってこれない市場はどこなのか?


を常に私たち起業家は考えているのです。

で、日記ほど楽に文章書けて、それでいて一人勝ちできる市場というのも少ないのです。


障害者は生産性ゼロでいいんです。量ではなく、質で勝負すればいいのだから。

健常者が生産できない市場に参入し、一人勝ちを収める。


これが障害者にとっての最高のビジネスモデルです。必勝パターンという奴です。

車椅子に乗った肢体不自由の人たちは、みんなエッセー本出してるでしょ。


乙武さんだけで2冊も出してる。家には彼以外の車椅子の人が書いたエッセー本が他に3、4冊あります。

全部著者が違うから乙武さんと合わせて、4名ほどの障害者が書いたエッセー本を、自分は持っています。


日記書いただけで高生産性の健常者が入って来れない一人勝ちの市場なんだから、出版するのは当たり前なんです。

同じ土俵では勝負をしない。


勝負する土俵は健常者が入って来れない土俵で勝負するんです。私たちにしかできないことだけを、やればいいんですよー。

だから普段は生産性ゼロでいいんです。

体が悪いのだから、努力が報われることだけに集中して働きましょう。

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