障害者として14年間企業に勤めてきた。
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その14年間でお給料以上に働いている、モーレツに働く障害者の同僚は1人しかいなかった。
他の障害者は定時になったらいかに早く仕事を切り上げ、家に帰れるか、または、いかに仕事を遅らせ残業代を大量に受け取るかに注力する社員ばかりだった。
私はどちらかといえばモーレツに働く側だったから(それほど優秀な社員ではなかったが、一応正社員だったため)、彼らとの相性は最悪で、気づくと自分の周りはいつも健常者ばかりだった。
あくまで一般論だけど、盲ろう者(目と耳両方の障害者)の私から見ても、障害者は性格が悪いし、なにより労働の大切さや、ひたむきに汗水垂らして一生懸命に働くという労働観を彼らはもっていない。
どちらかと言えば、もっと人生を投げているのである。
もうこんな体になっちゃったから、今回の人生はもういいや。早く家に帰ってダラダラしよう。この体じゃ出世も正社員になることも、もう無理だから、ゆっくりダラダラ働いて、働いた労働量以上のお給料を貰おう。
こういう考えが常のため、お給料の3倍は働かなければ、私を採用してくださった人事部の方たちの人件費やオフィスの家賃、パソコンの減価償却費などを回収すべく、最低でも手取り収入の3倍は仕事をしなければ。
という私の考えは、かなり異端であり、同じ障害を持った彼らに受け入れられることは一度もなかった。
企業が障害者を正社員で雇うのはリスクが高い。
なぜなら、途中から病気が進行した場合、正社員雇用では、仕事ができなくなった彼らを解雇することができないからだ。
だけど契約社員では昇給・昇格がほぼないため、彼らの労働意欲を高めることは難しい。
つまり障害者と企業の相性はそれほどよくないのだ。私みたいに起業してしまったほうが、障害者も後々は幸せになれると思う。それが私の自論である。
だから雇わないと罰金を徴収するぞ!という政府に脅されたことが引き金になって、そのインセンティブ(動機)で彼らを雇うのは間違いである。
健常者と同じフレームワークで、同じ採用基準で、意欲あふれる障害者を見つけ出すべきなのである。
だが、ひたむきに働くこと。損得勘定なく一生懸命に働くという最低限のモラルが彼らにはないのである。
施設での就職活動でも、社会の役に立ちたいとか、この会社に採用されれば私のスキルを使って会社のお役に立てる。
お給料以上に働き、採用していただいた企業に恩義を返せる。労働とはお金を稼ぐ行為なのだ。
という、一般的な思想が障害者にはなく、ただただ、正社員に採用され一生解雇できない地位に就ければ、どんな会社だって構わない。
大企業であればどこだっていい、雇ってもらいたい。という意見が主流なのである。
あくまで一般論だが、きちんとした労働観やモラルや、会社のために精一杯自分で考えて会社と社会のためにがんばるぞ!会社に貢献するぞ!私を雇って良かったって言ってもらえるよう努力するぞ!
という当たり前の思考を持っているのは、どちらかと言えば健常者の労働者のほうが圧倒的に多いのである。
以前働いていた会社の契約社員の視覚障害者は、上司から振られた仕事をいかに楽して他の社員にそのまま横流しし、やってもらうかに注力していた。
上司からもらった仕事を普通の健常者なら全力でやり切ろうと努力する。試行錯誤をするのだ。当たり前だ。それが障害者だと、如何に楽してその場を切り抜けるのか?
如何に仕事をせず、他の同僚に頼み込み、やってもらうか?
にばかり知的リソースを活用しているのである。そんなんだから、ずっと非正規の契約社員なんだよ。
とずっと思っていたけど、そもそも、出世して社会に貢献するぞ!人様のお役に立つぞ!
こんな体になっちゃったけど、出世してお給料増やして、両親を喜ばせるぞ!故郷に錦を飾るぞ!
という、健常者だったらあったり前の労働意欲が、彼らにはないのである。
だから企業は法定雇用率やかわいそうだからという情理ではなく、損得勘定で障害者を雇用すべきである。
■厚生労働省が制定している法定雇用率
出典:厚生労働省ホームページ(http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/shougaisha/04)
企業は従業員のうち2.2%を障害者雇用に充てなければいけない。45.5人に1人は障害者を雇わないといけないのだ。
そうしないと、一人あたり50,000円の罰金を支払うことになる。これを「障害者雇用納付金制度」という。
だが、障害者がかわいそうだとか、雇ってあげたいとかいう情理や人情で彼らを雇用しては、上記のような人たちがほとんどなのだから、雇った後に企業は大損することになるはずだ。
企業がやるべきことは、あくまでインセンティブ理論であり、合理性の追求なのである。
つまり一般的な健常者と同じ採用基準で、その労働者を雇うと、わが社は支払ったお給料以上の労働量を受け取ることができるのか?
という合理性、損得勘定で採用すべきなのである。
もし、50,000円支払うほうが労働効率が高くなり、生産性が上昇すると考えるならば、1人も障害者を雇うべきではないのだ。
職場のお荷物が増えるとか、マネジメントできる人材がいないとか、そう考えるのならば、その合理性で情理を排斥して、1人も採らなければいいだけなのだ。
もしそれで企業の評判が落ちるのであれば、その評判(風評)も損得勘定として算定し、障害者雇用の是非を決めればいいだけなのである。
目と耳の障害者(盲ろう者)の私から見て、一人も障害者を採用しない企業を冷たい企業だとは全く思わない。
企業はボランティアではない。企業の目標は「当期純利益の最大化」であり、効率的にお金を稼ぐための組織が企業なのである。
この原点から障害者雇用だけ聖域化してやる気のまるでない人材を、採用基準を緩和させてまで採るくらいだったら、大目に税金を支払って、健常者だけでガンガン働いたほうが生産性は確実に高まるのである。
意識の高い人間、志をもったやる気あふれる人間を採用していたら、一人も障害者を雇うことがなかった。そういう障害者に出会えなかった。
というのは、あまりにも適切な採用活動なのである。
障害者とは病気が永続化する人間である。全員が闘病生活をしているのだ。
だからある程度性格は悪化するし、悪くもなる。個人差はあるものの、世捨て人というか、もう人生を投げ矢理になっている人間が少なからずいるのだ。
だからこそ企業は合理性によって「儲かるか儲からないか」で決めてしまって良いと思う。
お金を稼ぐためのセクターが民間企業であり、企業がお金を稼げば稼ぐほど、アダムスミスの国富論の通りに儲けの多い企業は、多くの金額を納税し、ひいては社会を豊かにしているのだ。
あなたがた企業はとても健全である。
特に日本の企業の中間管理職は企業に対する忠誠心・帰属心が極めて高く、モーレツに働く社員である。
私は闘病生活中の同胞よりも、職場で一生懸命になって夜な夜な働いていた元上司のほうがずっと尊敬できる人間だと思っているし、あれほど多くの熱量を仕事に投入できることは、人として素晴らしいことだと思っている。
障害者雇用はいらないとか不要という意見は、どちらかと言えばまっとうな意見だし、私は賛成である。
志の高い、大志を抱くことのできる、社会と企業に貢献できる一本筋の通った障害者を見つけるのは、同じような健常者を見つけるより、とてつもなく大変であり、労力の伴う仕事である。
それが過去14年間の労働者生活で出会った彼らの実態なのだ。
- 凄惨な障害者雇用の現実について
- 障害者は生産性ゼロでいい。職場で働く必要はない。
- 障害者を職場の戦力にするため業務を細分化しよう!は間違いです。
- 健常者「障害者の生産性は低いです。」盲ろう者私「それは健常者と同じ仕事をさせるからです。」