障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

盲ろう者です不幸です。支援してください。って人には係わらないようにしてる。

前に、とある盲ろう者NPOの方から勧められ、本を購入した。

東京大学で働いている盲ろう者が執筆した本なのだそうだ。


☆☆☆


私も盲ろう者(眼と耳両方の障害者)だったため、興味があり、そのNPOから書籍を購入してみたのだ。

で、読んでみた。


そしたら、私は目も耳も見えない聴こえないで大変な生活をしていました。段々と病気が悪化していき、眼は完全に見えなくなったのです。

という、いつものスタンスだった。ねえ、だから何?だから何なの?


身の上の不幸話をしたら、障害者より2つも障害を負っている盲ろう者が最強なのは分かるよ。

だけど、何なの?だから何が言いたいの?


私が障害者嫌いなのは、私たちは不幸です。の文脈のくだりが気に入らないからだ。

大体世の障害者って私たちは障害を負っています。重く苦しい人生です。では終わらないんだよね。最後になんて言うか分かる?


こう言うんだよ。

私たちは足が不自由です。眼が見えません。手が片方ありません。だから障害年金を増額してほしいです。もっともっと惜しみない援助と支援を望みます。


足りません。足りません。もっとです。障害年金の増額を要求します。これってエンドレスなのよね。終わりがないの。

月10万円もらってたら、その生活に慣れちゃうの。したら、月20万円支給しろや!って言い始めるの。


で、次に、やはり月20万円では障害者の何不自由ない生活は厳しい。月30万円要求しなければ、我々の自由で豊かな経済・生活を営むのは難しい。

蕎麦屋さんで聴覚障害者だというだけで、団体で30人来ただけで、入店を拒否された(団体のろう者が一斉にやってきたら、対応に困るの当たり前だろうが)


入店を拒否され苦しい。切ない。哀しい社会だ。だから障害年金の増額を要求する。精神の不自由さと不快感の払拭のためにも、より経済的に豊かな生活が必要なのだ。

私が何言いたいか分かりますか?


君ら障害者と盲ろう者は人からお金貰うことしか考えてないよね。自分で稼ぐって思考が一切ないよね。

体が不自由なのは私だって同じだよ。盲ろう者だもの。目と耳壊れてるよ。完全に終わったよ。


だけど、なんでそれで人の金は俺のモノ理論が出来上がっちゃうの?まず稼いでみよう!ってなんで思えないの?

それが不思議で仕方ありません。


だから私には障害者と盲ろう者の友達が一人もいません。盲ろう者になって病気が悪化してすぐ起業しちゃったから。話が合わないんです。

まるでかみ合いません。


価値観が違いすぎるから。私が生活保護の受給を開始した日。いまから1ヶ月前、とても恥ずかしかった。みんなはそんなに体が悪いんだから、支援は当たり前だよ。

病気だって悪化しているんだから。と言ってくれた。


だけど私は恥ずかしかった。現金を受け取るのがすごく恥ずかしかった。社会に対して顔向けができなかった。

ドストエフスキー氏著作のカラマーゾフの兄弟で言うところの「これは恥辱。恥辱ですよ。生き恥です」って気持ちだったの。


心の底からお金を稼ぎたいって思った。お金を稼ぎ納税し、国家の役に立つこと。それは極めて健全な思想だと思ったの。

簡単なたし算ひき算をいまから言いますよ。


私が生活保護費を受け取って一切納税してないってことは、その分、税金を払いすぎてる人たちがいるのよ。

年100万円支払ったのに、国家からの社会福祉サービスをたったの10万円とか20万円しか受け取っていない人たちがいるの。


1年に1回区役所行って住民票の写しを貰ってくるだけで、100万円納税してる奴等がいるの。

で、その払いすぎた80万円というお金を私は受け取ってるのさ。

これが恥辱でなくてなんだと言うんだよ!!!


恥ずかしかった。すごくすごく恥ずかしかったんだよ。だからなんとしてでも生活保護を脱却しなければって思ったのさ。

だから同胞がこんなに体が悪いんです。障害年金の増額を要求します。


ってセンテンス(文)を何の恥じらいもなく言うと、私は吐き気がするんです。だから私は稼ぐ。

彼らとはお付き合いしませんし、お近づきにもなりません。支援!支援!とか言ってる人が生理的に受け付けられないんです。

私の人間哲学がそれを許しはしないのだ。

普段の自分の日常はこんな感じ↓だけど、いつものことなのですよ。

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