障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

自分は文才がないと嘆くなら、とりあえず1日1万文字ずつブログ記事書きなよ。

よく人から文章上手いとか羨ましいって言われる。

特に最近ブログ運営を始め400字詰め原稿用紙3,000枚以上書き上げてから、そう言われるようになった。


☆☆☆


文才は遺伝だ。と言う人がいる。これ科学的データがあって、実際遺伝で決まってしまう部分がある。

でもそれって、センテンス(文章)の美しさや流麗さ、表現力の豊かさが、である。


別に論文なら、凡人でもいかようにでも書くことができる。だって、論文には型があるのだから。

論理的な文章を書けばいいだけなのである。


羨ましいとかお上手ですねとか言う人は、とりあえずブログ開設して1日に400字詰め原稿用紙25枚ずつ書いて見るべきである。

書かないと自分に文才があるかどうかなんて、分からないのだ。


なんだってそうです。

なんだってやってみないと、自分に才能があるかどうかなんて分からない。


義務教育でなんで絵画とか音楽とか社会に出て全く役に立たない授業をやるのかって、将来世界最高の画家になるにしても、自分に才能があるかどうかなんて、やってみないと分からないからなのである。


で、義務教育終わってサラリーマンになっちゃったら、ほんとは絵画において世界最高の才能を秘めていたとしても、やらず仕舞いで人生終わってしまうでしょ。

だから若いうちは、なんでもやってみるべきなんです。


で、文才について。

文章表現力の高い人が最低でも1日5時間とか文章執筆してるんだから、文才無い人はそれと同じか、それ以上に努力しないと永遠に追いつけないってなぜ分からないのだろうか?


別に彼らに追いつけ追い越せとまでは言わないけど、同じくらい努力しないと自分に才能が眠ってるかどうか、ギフト(神々からの贈り物。略して才能)があるかどうかなんて、わからないでしょ。

だからとりあえず、ブログでも開設して1日に原稿用紙25枚ずつ書いて見るべきだと思う。


で、3年くらい継続してみる。

そうすれば自分に文才があるかどうかなんて、すぐにわかります。みんなやりゃいいのに、やらないんだよね。


だから1.5年間1日に400文字原稿用紙25枚ずつ書いてきた自分が「盲ろう者 ブログ」のような主要な検索キーワードで検索1位になっちゃうんです。

それはみなさんとの競走に打ち勝ったからなのです。


みんな死ぬ気で生きてないよね。いまを、熱く情熱的に、一生懸命に生きないよね。だから日本はイージーゲーム(楽な競走)って言われるんです。

すべてのジャンルでそうなってます。

何でもいいから長時間たった一つのことに人生捧げてみましょう。ただそれだけで運がよければ、才能が開花します。


なんでもかんでも遺伝のせいにして、才能が開花するまでに掛かる時間すら努力しないのは、個人的には意味不明です。

ただそれだけのことなのに、誰もやらないのが不思議で仕方ありません。

ブログ開設なんてタダなのにね。

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