障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

周りの盲ろう者とは仕事において温度差を感じるよ。

東京盲ろう者友の会から2ヶ月に一度くらいの割合で、お知らせの封筒が届く。


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その封筒のなかには書類がいつも10枚程度入っている。その書類とは、毎月の催しや交流会についてである。


私は今日も朝2時に起きて、いまこうして仕事をしている。いま現在、朝の3時21分にこの原稿の下書きをしている。


仕事をして経済的に豊かになりたいから、早起きして働いているのだ。周りの盲ろう者は働いていない。


そもそも、盲ろう者に知り合いがいないからお互いに見えない聴こえないから、点字くらいでしかコミュニケーションも取れないのだが、周りは誰も働いてはいない。


朝っぱらから(ていうかまだ夜だけどw)起きて仕事をしていると、なぜ私はこんなことをしているのだろう?

とたまに疑問を持つことがある。


盲ろう者友の会の封筒に入っている交流会や社会科見学や、ゲーム大会やレクレーションだけやって生きていればいいのではないか?


もう、仕事とかしなくてもいいのではないか?止めても誰も文句を言ってこないのではないか?


という思いも多分にある。

だけど、体が勝手に文章を書き出してしまうのである。


私がこの見えない聴こえない体で生まれてきたからには、何らかの成し遂げるべき使命があるのではないか

そう考えるのだ。今回の人生で何を成し遂げられるのかはまだ分からない。


ただ、国の世話にだけなって、税金を受け取るだけ受け取って、こっちはその恩義を何一つ返せないなんて、絶対絶対嫌なのである。


楽なことをしてても、ていうか、働いてなくてずっとニートやってても、親も体の心配をしてくれるし、一生ニートを続けることもできる。


それでも私は働くことを、起業家になって毎年確定申告をする道を選んだ。選んだからには天下国家の、この衰退し続ける日本国の役に立ちたいのだ。

周りの同じ障害の人間と自分を合わせていく必要なんてない。


私はヘーゲル哲学を使い「私が生きたいように生きる」だけなのである。

下書き時、3月初旬のため、まだ朝は寒く指が冷たい。生活保護間近でストレスとプレッシャーが溜まり、睡眠障害を起こしている。


もう、朝までぐっすりと眠れるような体ではないのだ。周りの盲ろう者と私では価値観も温度差も異なる。だけど、私はこの道を進もうと思う。


たぶんずっと仕事を続けていけば、ブログを4000本5000本と書き続けていけば、私が生きている、存在している意義が分かってくるはずだ。


そのため、みんなはまったく働いてないのだが、自分は開業届け出しちゃったし、社長になってしまったため、鬼みたいに働いている。

努力して努力して、それでも結果が出なくて、だけども、人はその努力を止めない。


周りの人間がなにしようがそんなのは知ったことではなく、私は自分がなりたい自分になろうとしているのだ。

目がまったく見えなくなっても、耳が完全に聴こえなくなっても、とりあえずお金には困らない程度に、自分で所得を得ていきたいのだ。


そのため、交流会には参加せず、とりあえず起きているときは元気のあるときは、その熱量のすべてを仕事に捧げようと思う。

私は頑張る。衰退し続ける国で収入を増やすために頑張る。


この記事を読んでくれている読者様も、人と自分を比較せず、マイペースに専門性を積み上げ、所得を上昇させていって欲しい。


私は頑張る。体が悪かろうが、病気が進行していようが、全部無視して頑張って、成果を出すだけである。