最近の日本社会と日本人の特徴の一つに「誠実ではないこと」が挙げられます。
☆☆☆
ブロガーは自分が絶対に使わない危険な仮想通貨取引所を一人口座開設するにつき23,000円もらえることから「セキュリティが安心・安全なコインチェックが一番おすすめです!!」
などと平気で嘘をつきます。
そして日本国民の読解力が小学3年生並に劣化したため、母語なのに文章を読む力がなく、自分で調べる癖もないことから、すぐに騙されます。
騙されると一般大衆の多くが貧乏人なため、貧乏人は心が貧しく人の不幸が大好物であり「騙される人間が悪い」「それはお前の自己責任」と言います。
さらにそうやって人を騙し平気で嘘を執筆したブロガーがもっとも高所得者になり、まともに運営しているブロガーやツイッターユーザーのほうが閲覧者数が少ないです。
それは日本人の一般大衆に合わせていないから。マーケティング能力が低いからです。
日本人は25年連続でグローバル経済競走に負け続け能力が劣化した民族なのに、文章力を高めてしまうことから小学3年生レベルの読解力では理解できない、難しくて(そして極めて役立つ)情報を執筆してしまうからです。
ツイッターユーザーでも39aamさんのようにかなり難解で(個人的には別に難解なツイートだとは思ってないが)非常に質の高いコインチェックの金融庁からの処分の文章の改竄(かいざん)の部分まで指摘しているユーザーがいますが、一般ツイッターユーザーには難しすぎて彼の言っていることが理解できず、そのため、彼のフォロワーは少ないという事象は大変におもしろい現象です。
また、コインチェックの和田 晃一良社長が2年前に「安全なオフィスの中から外の困ってる人を見るカイジみたいな遊びをしてる」というツイートをしていても、馬鹿な日本人はこのツイートの意味を理解できず、コインチェックに口座を開設し、入金してくるのです。
渋谷にあるコインチェックの本社ビルの安全な室内からホームレスや困っている若者が外を歩いていると、人の不幸によって自分の高い地位と他者の不幸を比較することで、優越感を覚え、気分が良くなってしまう。
という意味なのですが、この意味すら分からずコインチェックというヤバい会社にお金を入金し、そしてハッキングされ仮想通貨が戻ってこないかもしれない状況が続いています。
日本社会は誠実ではないし、倫理観の欠片もない人たちがトップに立ち、高い所得を得ています。
それは私たち国民が馬鹿だからです。
現代の日本人は読解力と洞察力が低すぎます。だから自分が馬鹿にされたことすら気づかない。理解できない。
とても操縦しやすい能力の劣った人たちの集団。それが日本国民なんです。とても恥ずかしい国で私たちは生きています。
どう生きればいいのか?は、個人の自由だと思います。
スイスの様に労働者の地位が確立されていて、日本のような乞食とジプシーと貧乏人が他人の不幸を喜ぶ低所得者国家を脱して、平均年収1,100万円を突破した先進国のスイスに移住するのもいいでしょう。
また、他の有名ブロガーや倫理観の欠片もない経営者になって馬鹿な国民を操縦し、現金を巻き上げる主流の生き方をして金持ちになるのもいいでしょう。
それぞれが好きに生きればいいと思う。
私は誠実さが安売りされ、企業人事部から「とにかく金だよ!金!」とお金を稼げるプログラマーやITエンジニアだけがどんなに性格が悪化して倫理観の欠片もなくなっても、優遇される社会を興味深く傍観しています。
日本は高所得者のクズたちと能力の低い愚かな一般大衆に2極化しています。誠実さがあっても「で?あなたはお金を稼げるの?」と、極めて下品に問いかけてきます。
自分は希少性が好きなため、第3の道であるクソ誠実な生き方をしようと思います。
お金はたくさん稼ぎたいけど、1日3食飯が食えればそれほど物欲もないし、生存戦略上困ってはいません。
それよりも要求としては、ユニーク(世界でただ一人の人材)になりたいという強い意思があります。
自己が人間哲学をし、徹底的に誠実な社会科学の文章が書きたい。これが私の要求です。
そのため、他人とかどうでもいいので、人との比較とかまったくしないし、気にもならない。
クソまともでド誠実な生き方をしたいと思っています。
倫理観の欠落した社会で騙し騙され不幸が蔓延し、他人の不幸を大喜びする魅力なき専門家(高所得者)と大勢の貧乏人(一般大衆)が住まう世界で私たちはどう生きるべきか?
その答えはヘーゲル哲学の根底を成す思想である「好きに生きるべき」「自由に生きるべき」であると考えます。
私は好き勝手にこの能力の高く下品な一握りの能力者と馬鹿な一般大衆に挟まれ2極化した世界において、好き勝手に誠実な文章だけ書きまくって所得を得ようとしています。
それが一番ストレスが溜まらないし、健康を維持し、楽しい人生になると考えているからです。
衰退し続ける失われた25年(日本が他国に負け続けた25年)のなかで、私は毎日を楽しく生きようと思っているのです。