障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

Googleは日本の企業と違って、失敗を何度でも許してくれる!

昨年12月からブログにアフィリエイト広告を貼ったのだが、いまだに収入は0円である。


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まあそれはいいとして、アフィリエイト広告を貼った後Googleからの検索流入が4割減った。


Googleの検索アルゴリズムはYahoo!検索も同じものを採用しているため、全体のアクセス数も3割減ってしまった。


そこで私は一つひとつ元に戻した。広告を一つひとつ減らしていったのだ。そしたら検索流入は元に戻るどころか、むしろ増えてしまった。


Googlebot検索エンジンアルゴリズム(論理演算)によって動いている。


そのため、こちらも論理的に一つひとつ元に戻していくという活動を取ると、その活動に対して応えてくれるのだ。


これってよくよく考えてみるとすごいことで、失敗を何度でも許してくれるアルゴリズムなのだ。失敗したらまたやり直せば良い。元に戻せばいいのだ。


誠実な対応に対して機械であるはずのGoogleの検索アルゴリズムは、同じく誠実な対応をしてくれるのだ。


翻って日本の企業である。


今年で私は社会人歴20年になった。日本の企業に面接しに行くと


(履歴書に書かれている)10年前に貴方が働いていた、この企業の退職理由はなんですか?


と、クズの頂点のような質問をされることがある。20年間の労働者生活では、過労で倒れたり、障害が悪化して入院して、退職せざるを得ないこともあった。

20年も働いていれば1度や2度は失敗するものだ。


そういった一度の失敗が10年後のいまも批判され続け、そのたった一度の過去の失敗によって、わが社には不適格な人材だから不採用!とされてしまうのだ。


10年前にうつ病で頭を痛めたら、もう労働者人生はおしまいだし、20年前に障害が悪化して1ヶ月間入院しただけで(自分の努力とはまったく関係ない病魔によるものなのに)、履歴に甚大な傷が付き、その後一生涯批判され続けるのだ。


ブロガーやっててよかったなあって思うことは、何度でも失敗が許されることなのである。


だから毎日挑戦している。毎日がんばろう。今日も一生懸命に歯を食いしばって生きよう!と思えるのだ。


日本の企業の人事担当のように20年前に私の障害が悪化し1ヶ月検査入院したことを、今でも批判してくるクズは、ブログ界隈にはいないのだ。


だからブロガーやっててネチネチ批判してくる人がいなくて自由で快適だなあって思う。


もちろん、ツイッターから「お前のブログはつまらねえ!」と批判してくる人もいる。でも、これは私の努力が足りなかっただけだから、その都度謝罪している。


謝罪しても何度も批判してくる人もいる。誰かとつながりたい、会話したいと心理内部で思っている人たちだ。


そういう人たちとは別に会話したくないし、何度も謝罪する時間があるならその分ブログを書き続けていたいため、ブロックさせていただいている。


面倒な人たちとはさようなら。である。多分、日本は20年後に中進国になってて滅ぶけど、私はいま日本の企業で働いてはいないし、20年後もどこかの国で日本語でブログを書き続けていることだろう。


Googleは何度でも失敗を許容してくれるのだ。失敗したら、またやり直せばいい。努力を続ければいいのだ。


過去の失敗をネチネチ批判されても、今の私では何もすることができない。謝罪を繰り返すことしかできないし、改善できない。


だけど、Googleはいまの私を見てくれる。失敗してもいま直せばいいと言ってくれる。これがどんなにありがたいことか。これにどれほど救われたことか!


20年前18歳で社会人になったばかりで、1年で視力が4分の1になり、不安まみれのなか検査入院した、どうしようもなかったときの私を、日本の企業は20年経ったいまも批判してくる。


なんでそんなに会社に迷惑掛けたんですか?と言ってくるのだ。病気が発病してしまったら、もう個人の努力では何やったって打開できないのに、障害には屈するしかないのに。それを20年後の今、批判してくるのだ。


だけどGoogleはそんな非生産的なことをしない。いまの私を見てくれるのだ。

当時よりずっと障害が悪化し、耳と目の障害者になってしまった、今の私を評価してくれる。


もう目が悪すぎて車の免許どころか自転車にも乗れなくなった。水道の蛇口の水すら、もう見えない。人の言葉もすべて聞こえなくなった。それでも、それでもGoogle私の文章力だけを見てくれる


これがブロガーやってて一番嬉しいことだと思っている。