障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

権利を主張する人間と思慮の深さについて

ツイッターを見ていると他人に権利を要求するツイートがバズっていることが見てて分かる。

現代社会においては、下品であり品性下劣なツイートほどよくバズるのだ。


☆☆☆


先日もこのツイートがバズっていた。


■これ
問題となったツイート
出典:たまこんぶさんのツイート(https://twitter.com/Tamakombu/status/1199422059106848768?ref_src=twsrc%5Etfw

この手のツイートをしている人間は2つに分けられる。

1つは知能犯だ。


あまり知られていないが、SNSで影響力を持っている人の多くは本心を晒さない。

ほんとうはすっごく良い人でも、その本質を晒さず収益の最大化のために悪役に回るということをしている。


自分の書いたツイートをバズらせ拡散させ収益を最大化させるために、まともな人間なのにわざと性格の悪い人を演じているのだ。

田端さんや藤沢さんがそれである。


たまに素でツイートされることがあり、ものすごい善人でまともな人なのだ。ということを痛感する。

戯曲を演じてツイッターで影響力を高め自分の本を売るために、悪役を演じていることが分かってしまう。

だから彼らは知力が高く知能犯なのだ。演じているのだ。


ツイッターでバズらせている人たちのなかにはもう一つのタイプがいる。

それは本能で動き権利を主張する人たちだ。


私はこうしてほしい。こうしてくれると嬉しい。

と書かれており、あなたたちはここが駄目。こういうふるまいがよくないよ。

と書くことで、ツイッターを炎上させ拡散させている。


一見、こうしてほしい。という柔らかな筆致で書かれていても、実際には怒っているのだ。

本質はお前こんなこともわかんねーの?

と言っているのである。


上のツイートも「新米パパさんへ、お前らこんなこともわかんねーのかよ?」

と言っているわけである。


悪意と怒りが籠もっている、大変本能的に動く動物のような民度の低いツイートほど、現代社会ではよくバズるのだ。


もしも新米パパさんへ。ではなく、新米パパさんとママさんへ。であれば炎上はしなかっただろう。

だが、彼らは一方的なのだ。


一方的に父親側に権利と要求を主張し、利益を収奪しようとする。

父親側は残業疲れがあっても「疲れた」と言ってはならない。


耐え忍ばなければならない。

家族とは支え合うべきもののはずなのに、いつも一方的なのだ。


母親側は疲れた。もうダメかも。と言っても良い。しかし父親側は言ってはいけないのだ。

利益。自己の利益のみを追求するのである。


本能に突っ走る動物こそがもっとも利益を獲得する。それを容認する社会が現代社会なのだ。

相手の気持ちに立脚して物事を考えられない人間ほど、多くの富を獲得する。


日本はいまそういう社会なのだ。思慮深く慎み深くはもう古い。

いま一番儲かるのは、それは俺の金!俺の利益!なのである。

常に怒っている人に近づくと、だいたいろくなことがないため私は距離を置くことにしている。


最近夜中うなされて起きる。口呼吸をしてしまい喉が腫れる。

目が見えず横断歩道の信号が見えず、赤で渡ってしまうことがある。


聴力が失われたため平衡感覚機能が壊れ、まっすぐ歩けず家のなかで転ぶ。

しかし、私は要求しないよ。障害年金も受け取ってはいない。


耐え忍ぶ。必要なときには必要な理性で耐え忍ぶ。古い思想かもしれんが、私はこれを好んでいる。

サービス残業とか犯罪を犯している企業に対してはむしろ強く言うべきだが、お前謝れよ。お前俺にもっと謝れよ。


というヤベー奴には距離を置くことにしている。

障害者やってるとみんな親切だから助けてもらうことが当たり前になってしまい、たまに「ありがとうございます」と言うのを忘れるときがあり、


己を律しなければならないと痛感する。

病院で診てもらったあととか「ありがとうございます」って言うと医師はうなずいてくれます。


お金を渡すだけでなく、あれは人としての儀礼であり、礼儀だと考えています。

律するのは他者にではなく自己にです。


思慮深く慎み深く生きていきたいものです。

理性こそが動物と人間を分ける唯一の性質なのだから。

関連エントリーニーチェの思想は、この画像を見ると一瞬で分かるよ。