障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

社会福祉協議会の人との面談について

2日前、東京都のとある区の社会福祉協議会の人と面談をしてきました。


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相談内容は生活が苦しいので、障害者施設など日本中どこでもいいので、月5万円で生活できるところはないのでしょうか?


という相談だった。このブログのアクセス数は順調に増加しているものの、広告も入れていないから収入はゼロなのである。


収入は欲しい。けど、広告は入れたくない。細々とした収入を得るために少しは広告を入れるだろうけど、収入が生活費を越えるのにあと2年は掛ると推察しているのである。


私は2年間分の生活費を持っていない。東京では家賃が高くて住めないのである。


どこか北海道の過疎地など土地代がほぼゼロの場所に住み、食費だけに支出していけば生活費はあと2年は持つ。


だから、障害者福祉施設の空き部屋か過疎地でほぼ家賃の掛らないようなところで2年住まわせてもらえないか?

と、少し無茶な相談をしに行ったのである。


そうしたら、区のソーシャルワーカーさんは最初こうおっしゃった。「眼と耳で障害手帳を取得しているのに、障害年金は受給しないのですか?」と。


私は以前、障害基礎年金を受給していた。障害基礎年金はズルをする障害者をはじくために、数年に一度病気の診断書を提出するのである。


私はそのとき調子がよくて、分厚いレンズを掛けたときに視力が0.2まで上昇してしまったのだ。


その診断書を馬鹿正直に提出したため、障害基礎年金を打ち切られてしまったのだ。私はその出来事について批判も文句も言わなかった。


それが日本の制度なのであれば、徹底的に制度側に従うべきなのである。


検査の前、たっぷりと睡眠をとっておき、最高の状態で検査に望むのは人として当然の義務である。


悪いデータになるよう努力するインセンティブ(動機)が本人にはないのだ。


正しいことをして食べて生きたい。噓をつかずにまともな大人として私は生きていきたいのだ。


そのため、年金が打ち切られた後は労働時間を増やし、転職して年金以上の所得増(年収を100万円増加させた)のために無我夢中で働いたのである。


だた収入ゼロのいま、東京の高すぎる家賃ではもう支払えないため、住めないと思っている。


それであるならば、廃屋だろうが僻地だろうが、家賃がほぼゼロになるような過疎地に住むべきなのだ。


なぜなら、私はこのブログを1年間運営するために400字詰め原稿用紙2,310枚を執筆し、ブログにアップロードしてきた。


1記事あたり400字詰め原稿用紙3枚で、記事本数は770本である。これを掛けると2,310枚になるのである。


正直、仕事しながら年間2,310枚の原稿を書くのは不可能である。せいぜいが200枚から400枚程度になってしまう。


すると私は、サラリーマンブロガーの5倍から10倍のペースで記事を執筆していることになる。


このブログが1年間の運営でブログランキングの上位1%以内に入れた理由はこれである。朝起きてから夕方まで毎日記事を書き続けたためである。


いまさらサラリーマンに戻るより、この道を突っ走ったほうが生活が安定するのはもう眼に見えているのだ。


眼と耳に障害をもった障害者が課長職や部長職になって部下を20人持ってマネジメントするなんて不可能である。私には会社で出世するという道はもうないのだ。


だったらフリーランスで専門職としてぶっちぎったほうが道は見えてくるのである。


あと2年間一生懸命に記事を書き続けて原稿用紙6,000枚か7,000枚程度のコンテンツをブログにアップロードすれば、細々とでも広告で食べていけると思っている。


だからこの生活を尋常でない労働時間と仕事量を保持したこの仕事生活を、私は続けていくべきなのである。


障害者になった瞬間から出世や努力を諦めるのは違うと思う。死ぬほど仕事をすれば確実に道は見えてくる。


私はそれを証明していきたいと思っている。だからフルタイムで暴力的に働く必要があるのである。


今年のうちに引っ越して、東京にはもう住めなくなってしまうかもしれない。


でも、僻地だろうが過疎地だろうが、ご飯を食べて寝るところさえあれば、残りの時間はすべて仕事にまわすため無問題なのである。


努力を続けていく。無尽蔵の努力で良質なブログ記事を積み上げていく。来年の今頃どんな場所に住んでいるのかすら分からない。


レールの見えない人生は不安にも駆られるけど、生きているっていう実感が湧いてくる。


ド真剣に生きて無尽蔵に努力する。その先に何が見えるのか、私は知りたいのである。