障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

どういう大人になりたいのか、今でも分からない(前編)

どういう大人になりたいのか、自分は37歳になっても、まるで分かりません。人生が失敗の連続ばかりだったためです。


☆☆☆


自分が18歳の頃好きだったのはスーパーマーケットであり、スーパーで働くことが目標でした。


で、18歳で念願のスーパーで正社員として働いてたら、なんか違うなって思いました。やりたいことをやってみたら、やっぱりこれじゃなかったのです。


20歳のとき食品工場で働いてました。公認会計士になりたくて簿記1級まで取りましたが、21歳で視覚障害者になり、夢を断念しました。

それが今では、まったく公認会計士になりたいとは思えないのです。


なんで当時なりたかったのか意味不明なのです。たぶん、難関資格試験に合格できたとしたら自分を褒めてあげられるからとか、優越感からなりたいと思っていたのでしょう。


25歳の頃プログラマーになりたくて、色んな言語でコードを書いていました。ハッカーギークに憧れを持っていたためです。


いまでもHTMLとCSSくらいだったら書けますが、眼が悪すぎて視覚の障害が、実際に仕事上の妨げになってしまい、プログラマーになる夢をあきらめました。


いまなおプログラマーには憧れているものの、視力があまりにも悪いため、仕方が無いと思ってます。


んで、36歳になって自分15歳の頃から読書と文書執筆を21年間続けて来れたことに気づきました。


あまりに習慣化されており、それが特技だと当初は気づきませんでした。


ただ、会社のサイトで文章書いたりするときに、社長から無意味に褒められまくったため、人から言われて「あっ、これ自分が一番長く続けてこれた特技なんだ」って気づきました。


要するに腐れ縁です。それで37歳の今もブロガーなんてやっているわけです。


好きだからやってるんじゃなくて、一番得意だから、無理なく1日1万文字が書けるから、この仕事をしてるのです。


つまり、自分が無理しないで一番長く続けてこれたスキルこそが、私にとっての好きなことだと思っているのです。


そう考えると、私の好きなことは、文章執筆ということになります。でも、この特技で今後どう生きて生きたいのかは、正直まだ分かっていません。


弱視でも続けられる職業だということは分かってます。やりたいことは別にないけど、ブログで食べて行きたいことだけは分かってきたため、目立たないような広告でも入れて、月に10万円くらい収入を得て、細々と食べて行きたいと思ってます。


スキルが今後もメキメキと上がってくれば、特にWebマーケティングとフロントエンドの設計(収益化のためのデザインの最適化の設計)ができるようになれば、また新しい目標も生まれてくると思います。


大切な事は、自分が「楽しい」って思うことに大量の時間を使ってやることと、好きなこと(得意なこと)に対して、膨大な時間を使うこと。

そして「自分を信じること」なんだと思います。

後編へ続きます)