障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

社会におけるノイジーマイノリティーは全部無視しよう!

平成に入ってから「保育園の園児の笑い声がうるさい!」「ビールのCMで25歳未満を出演させるのは不適切」とかヴァカなことを言う低所得者が増えました。

こういうのは、全部無視するのが得策です。


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社会には色んな分け方がありますが、「敏感な社会」と「大らかな社会」という分け方があります。


敏感な社会とは大勢の低所得者が住まう不平不満にみちあふれた格差社会のことです。現在の日本がこれです。


日本の官僚があふぉなため、日本人がもっとも大切にしていた「安定雇用」を日本では小泉政権時代に廃止し、派遣法を改正し、非正規社員が生まれ、子供の生まれない社会を作り上げました。


それまで非正規社員が存在しなかったのに、平成に入って派遣社員契約社員だけで労働者の4割にまで達してしまいました。


同じ年齢における非正規社員の既婚率は正社員の4分の1であり、雇用の不安定化が労働者の精神的不安定化を生み出しています。


精神的な不安定感(いつ、クビになるか分からない恐怖感)は、日本人から恋愛感情を奪い、恋愛している暇などなくなってしまいました。


それが原因で未婚化・晩婚化が進み、既婚者と子供が減り、パイ(市場規模)が縮小し、失われた25年という経済が全く成長しない、人口減少社会の幕が開けたのです。


低所得者はただムシャクシャしているだけなのです。保育園の周囲に住んでいる低所得者どもは批判さえできればなんだっていいんです。


別に園児じゃなくたっていい。少しのことで過敏に反応し、批判しているだけなのです。


ちょっとぶつかっただけで怒り狂う年配の方や、川原でバーベキューしているだけで、刃物で刺し殺してくる若者。


全員が低所得者です。日本人全員が雇用不安定と低賃金化によって、貧乏人になり、そして貧乏人はいつも心が貧しいからムシャクシャしており、ノイジーマイノリティー(何にでも文句を言ってくる少数派)になるのです。


だから、ノイジーマイノリティーとは係わり合いを持たず、なるべく無視しましょう。保育園の園児がいなくなったら今度は元保育園の土地が余っていて土地の有効利用がされていないからと役所に批判してきますし、廃墟になったら治安が悪化したと批判してきます。


要するに、彼らは批判できる材料さえあれば、何でもいいのです。全部無視しましょう。動物的に本能で動いている人間と係わると、ロクなことがありません。アウトオブ眼中で問題ありません。


逆に、大らかな社会とは、昭和の時代のことを指します。要するに、全員が金持ちか小金持ちの社会のことです。


正社員しかいない昭和の社会においては精神的にゆとりがあったため、そしてお金をみんな持っていたため、若者は普通に恋愛をしており、遊園地に行くお金も乗用車を購入するお金も、持っていました。


困っている人がいると自分の生活にゆとりがあるため、困っている人を率先的に助けようとしました。


給与体系が成果に応じて支給される平成時代の成果主義ではなく、努力に応じて成果が出なかった人も一律で昇給させていたため、ノイジーマイノリティーは存在しませんでした。


自分のいまの生活に満足しているため、保育園の園児が笑顔で遊んでいても、それを貧乏人のたわごとである、うるさい!


などと叱り付けず、そもそも堅牢な一戸建てに住んでいるため、園児の声が室内まで聞こえることはありませんでした。


決定的に日本がぶっ壊れたのは、日本人がもっとも大切にしていた雇用の安心感や安定感が失われたからです。


変な人が社会に跋扈(ばっこ)するようになったのは、グローバル化によって国内に低所得者が増えたからです。よって、ノイジーマイノリティーは全部無視して問題ありません。


あれはお金が欲しいという低所得者の叫び声のようなものであり、成果主義社会になってしまった以上は、大量に働かなければ所得は上がらないのだから、ピーピー喚いてないで、人のこと批判してないで、沢山働くべきなんです。


私は平成社会のほうが馬鹿が多くて楽しくて好きです。だけど、年配の方にお聞きすると馬鹿が少なかった昭和のほうが良かった、という回答をされることが多いです。


誠実で品があり、人に配慮できる人が多かった昭和社会を回顧する年配の方が大多数です。


瀕すれば鈍する。貧乏人が大量増殖すれば、愚かな知性が社会に跋扈(ばっこ)するのは、必然なのです。


だからこそ、競争相手が弱すぎて楽なのが平成社会であり、モーレツ社員のいた昭和の社会よりも、競走が楽です。


なぜなら、みんな自分の所得の低さを他人のせいにして、一生懸命に仕事をしないためです。


この状況で無我夢中にモーレツに働けば、平成社会であればいくらでも競走に打ち克つことができるため、実は平成のほうが楽な社会なんです。


ノイジーマイノリティーはストレスの溜まった低所得者なので、全員無視して、せっせと仕事に励むのが吉だと思っています。