障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

それぞれの時間に意味合いを持たせる行為について

30代後半になり、自分の体が20代の頃と比べてそこそこ老化していることを実感したとき、私はそれぞれの時間に意味合いを持たせるという習慣を持つに至りました。


☆☆☆


人間の生きている時間には限りがあり、自分もあと50年もすれば寿命を迎え死ぬのだなと実感したとき、時間という人としてもっとも大切な財産をどう有効活用すればいいのかを、考えるに至ったのです。


たとえ1兆円や10兆円のお金を人から貰ったとしても、もしも、私の余生が僅か1分しかなければ、これらのお金を使って豪遊する「時間が無く」、1分後私は死を迎えることになります。


つまり、この世においてもっとも価値あるリソースは時間なのです。


フリーランスで働いていると1日24時間すべて自分で時間を消費できるため、それぞれの時間に意味合いを持たせるという習慣が生まれたのです。


自分が一番大切にしている時間は、睡眠時間と仕事をしている時間です。この2つに24時間中14時間は最低でも充てます。


そして、仕事を終えてゲームをやる場合、ゲームをするのはゲームを楽しむためではなく、次の日の仕事に備えて脳を休めるための時間としてゲームをしているのです。


そうすると1時間当たりでもっとも脳の疲れが回復するゲームソフトは何か?という思考法によってゲームが選択されるため、面倒なゲームや戦略性の高いシュミレーションゲームは、やらなくなります。


10分くらいやるだけで頭がすっきりするアクションゲームばかりをやっているのは、ゲームを楽しむためにしているのではなく、脳を短時間で最大限に回復させたいためにアクションゲームというジャンルを論理的に選定していることに気づかされます。


これが大人としての思考回路であり、純粋にゲームを楽しんでいるのではなく、次の日の仕事を効率的に最大限ベストな状況で行うための有用なツールの一つとして、ゲームをしていることになります。


漫画を読む時間もネットでダラダラしている時間も、すべては脳と体力を回復するという意味合いが込められており、価値のない無駄な時間の消費が無くなります。


よって、外出とか電車に乗って時間を無為に浪費するとかいう、損失の発生する行為を自然と取らなくなることに気づきます。


体調の良いときはすべて仕事に時間を充て、脳が重くなったらリザレクションのために、効率的に脳を回復できる娯楽を選択する。


機械的・機能的なこの生き方を私が選定している理由は、「成果至上主義」だからだと言えます。


私は成果がほしいのです。ある程度の期間内にそれなりに大きな成果が欲しいから、仕事第一のロボットみたいなルーチンワークで成果が最大化できる機械的な生き方を選択しているのです。


仕事に人生を捧げるというのは、それら一つひとつの行為がすべて仕事のために有用なのかどうかで、娯楽も休息も食事も睡眠も全部を管理している行為の総称です。


そのために、周りからは「狂ってる」「少し休め」と言われますが、常識を超えた成果を出すためには非常識なライフスタイルを選考する必要があると考えます。


だから、自分が求める成果が出るまでは、この機械的・機能的なそれぞれの時間に意味合いをもたせる行為を辞めてはいけないのです。


一般人と求めている成果の量が異なるのだから、他人の意見に耳を貸してはならないのです。


私はストイックに、そして理性的に、濃密な人生を生きていると言えます。