障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

障害者になってフリーランチとかしてると精神を病んでしまう。

最近、なんか知らんが少しうつ病気味である。


☆☆☆


経営者にとって一番大切なことは野心であり情熱なのに、その情熱が少しなくなってしまったのだ。

家でボーっとしている。

熱意というか生気が失われているのだ。


なぜ、情熱や生気が失われるのか?

それはフリーランチ(タダ乗り)しているからだ。私は生活保護者である。


7月の末までに4.5か月分生活保護費を受け取った

1ヶ月あたり132,230円だから、4.5ヶ月で595,035円も受け取っているのである。


長崎新聞社の記者が執筆した居場所を探してのなかで、知的障害者の刑務所内での穏やかな暮らしぶりが描かれていた。

それに依ると、障害者だからといって甘えは許されないのだ。


刑務所で障害者は1日8時間労働するのである。

出所後も、グループホームでの暮らしになるのだが、ここでも障害者は農作業の仕事をしているのである。

自分も彼らと同じくらいには重度なのだが、まったく働かず595,035円も受け取っているのだ。


もちろん、刑務所に受刑者1人入れるコストは年間3,000,000円なので、生活保護費のほうが激安なのだが、受刑者ですら仕事をしてお金を稼いでいるのに、

私はフリーランチで家でだらだら金にもならん記事ばっか書いてて、自分は生きる価値があるのだろうか?

と最近考えている。


なんか福祉を悪用しているように感じられる。

親(自分の場合主に祖母からだが)引き継いだ倫理観が自分の精神を破壊してしまいそうで、体のあちこちが痛みを帯びてしまい、このままでは精神を病んでしまうのではないか?

と不安になるのである。


ひたすら記事だけを書き上げている。

他人の金で飯を食う。という行為は、すごく気持ちが悪い。体調すら悪化する。


官僚が天下りするとき退職金3,000万円くらい貰うが、よく精神を維持できるなと思う。

自分だったらビルから飛び降りて死んでしまうのではないだろうか?


いい歳して自分でお金を稼げない恥ずかしさに、耐えられないのではないだろうか?

大学教授とか一度教授職になると一生涯安定してしまい、クビにはならない。


努力するインセンティブ(動機)が失われてしまうのだ。

税金を受け取るだけ受け取って、ダラダラ暮らしていたら、私だったら身の破滅を自分からしてしまうのではないだろうか。

と、常々考えるのである。


とりあえず、いま障害者カテゴリーの記事を鬼のように増やしている。3,000本から5,000本くらいは書いて行こうと思っている。

それだけ書いて成果が出なかったら、もう生きる価値なんてないんじゃないのかなと考えている。


倫理観は人間の精神を破滅させる。フリーランチもまたそれをいさめる倫理観も、あまり良いものではない。

まともに精神を維持させるためにも、これからもブログを書き続けていきます。


倫理観のない人間が羨ましいです。

自分も障害を武器にしてわざと転んで企業に慰謝料請求したり、ヘラヘラ笑って生きられたらいいのに、私の人間哲学と倫理観がそれを許してはくれないのです。

最近体調が悪くて困っています。

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