障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

哲学の時代について

最近、現代社会って哲学の時代なんだなあって感じる。

気分の持ちようで、どうにでもなってしまうからだ。


☆☆☆


たとえばこれ↓

藤沢さんのツイート。


■現代資本主義について

サッカーの日本代表監督の相場は大体年俸で2億円である。

日本国内には仕事がほしくても見つからない無職の人たちが現在158万人いる。完全失業者という人たちだ。


158万人も国内で職探しをしている人がいるのに、サッカー日本代表の監督になれる人は誰一人いないのだ。

替えが利かないスペシャリストの年俸はどんどん高騰するばかりだ。


そして、替えの利く誰にでもできる非専門家の労働者は、150万人以上も余っている。

物事は、考えようによっては、幾らでも人間心理を変化させることができるのだ。


たとえば、この158万人のうちの1人が私だ。

失業者の目と耳の障害者である。厳密には起業してしまったため、完全失業者の統計のなかには入ってこない。


私はニートであり、失業者であり、そして障害者であり、起業家であり、社長でもある。

ついでに、生活保護者でもある。


自分の目標は年収4,000万円のブログを作ることだ。

そして、年収4,000万円を越したら税率が55%になるから、毎年2,200万円を納税して、ニートになることである。


ニートになる。それが私の生きる目標なのだ。

で、たまに昼間っからダラダラ外を歩いていると、この目標既に達成していることに気づく。


自分は生活保護者で305社の企業に落ちて、別に精神的にも落ち込んでない、既にニートなのである。

誰からも働けとは言われない。


むしろ病気が年々悪化しているため、公務員の方々からは、心配されているほどだ。

でも、もう自由なのだ。毎日何しようが勝手だ。


生活保護者だからスーパー貧乏人だが、お金を使う機会がないため、もう一生ルサンチマン(貧乏人の清く正しい道徳的生活)が、達成されてしまっているのだ。

誰だって生活保護を受ければ生きる目的とか目標とか何もないのであれば、もう人生は上がってしまったと同じだ。


働く必要すらないからだ。

幸福感は年収1,000億円だろうが、最底辺の生活保護者だろうが、どっちもニートで金を使うことに興味がないのならば、幸福感は同じになってしまう。


要するに、現代社会は「哲学の時代」だ。

気の持ちようで世界一幸せにだってなれる。

生活保護に落ちる負い目、精神的苦痛をあなたがたは嫌がって、毎日出社しているだけなのだ。気持ちの問題だ。


私は誰からも働けなんて言われてない。

病気が悪化して、耳・眼が見えない聴こえない状態になり続けるなか、暇だからとりあえず歴史にその名を刻みたいと思ったのだ。

だから仕事している。


自分の名を歴史に刻ませるために、こうしてテクストを執筆しているのだ。

すでに上がってしまった人間のため、一生ニート確定なのだが、これはこれで生きててつまらないから、自分で目標を作って、勝手に起業して、勝手に働いているわけだ。


誰だってこの地位にはなれる。305社の企業に面接して落とされればいいだけだ。

自分の場合、目と耳両方に障害があったため、書類選考の書類すら送り返されてきて、一時はショックで体調が悪化し、病院通いしてて辛かったが、いまはもう平気だ。


哲学の時代なのである。

すでにルサンチマン(貧乏人の精神的に穏やかな生活)ではあるが、私はその名を歴史に刻むために働いているのだ。

あと5年も働けば、このブログは日本一の障害者ブログになるだろう。


とりあえず、そこまで持っていったら、そのときにまた「どう生きたいのか?」を考えてみようと思う。

幸福感は既にMAXだが、とりあえず目的なく生きるのは辛いため、適当に生きる目標を作っているのだ。

ただそれだけのために生きているのだ。

関連エントリーニーチェの思想は、この画像を見ると一瞬で分かるよ。