障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

自分、ろう者だけど毎日結構楽しいよ!

ろう者になったら人生終わるのか?

耳がまったく聴こえなくなると、もう人生終了なのか?


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確かに戦国時代だったら障害者ってだけでいきなり斬り殺されたでしょうが、現代社会であれば、それほど問題でもありません。

私は中途障害で途中から目と耳を失いました。


まあ、目は少し見えるくらいで、あまり見えない程度です。メガネを掛けて両目で視力0.08です。耳はもうここ2年間は使ってません。

ほぼ完全に聴こえなくなったため、人との会話もしていません。


感音声難聴のため音は聞き取れることから厳密には私はろう者ではありませんが、似たようなものです。もう、耳とか使ってないので。

で、人生終わったか?と聞かれたら、そんなことありません。俺氏、眼と耳両方を失ったあと起業しちゃってるしねw。


ろう者でも目がほんの少しでも見えてれば、耳なんてまったく聴こえなくてもなんとかなります。

たとえば、私はいまこうやって読者様と文章でコミュニケーションをとっています。


文章を執筆することで自分の言いたいことや意思を伝えています。これ、耳はまったく使っていません。不要です。

耳がなくても月間アクセス数200万のサイトは作れます。努力はそのまま(耳があろうがなかろうが)報われることになります。


不幸だなと思うのは、耳が聴こえたときの生き方、楽しかった日々を思い出すからです。

そりゃ、耳が聴こえたとき、人と何不自由なくコミュニケーションが取れた、便利な体のときと不自由ないまの自分を比較したら、不幸にもなりますって。


昔のことは考えず、いまをどう楽しむのか?

現有戦力(現在の身体状況)でどれほどの生を楽しむことができるのか?ただそれだけを考えていればいいのですよ。


そう考えると、ろう者でも全然楽しめるものはあります。たとえば趣味だと


■ろう者でも楽しめる趣味

  • 釣り
  • ブログ・小説を書いたり読んだりの読書・文筆活動
  • 将棋・プログラミング
  • ラソン・写真・スケート・スキー
  • 登山・マージャン・パチンコ・テレビゲーム

他にもスポーツ全般は耳が聴こえなくても全然楽しめます。

テニスとかサッカーとか野球とか耳不要です。


あと、プラモデル作ったりスニーカー集めたり、ソシャゲやったり、自分でWebサイト構築したり、アフィリエイト挿入してお金稼いだり。

…耳なんてまったく聴こえなくなったところで、楽しいことなんて現代社会には鬼みたいにたくさんある訳です。


ただ、いままで聴こえてたから、そういうことをやってないだけなのです

なら、この際、ちょうど聴こえなくなったのだから、別の楽しみやら趣味に挑戦してみればいいだけなのですよ。


生き方を変えればろう者でも全然人生楽しめます。

盲ろう者(目と耳両方の障害者)になると、さらに少し難易度が上昇しますが、あまり問題ではありません。


選択肢が減るだけです。そして、人はそんな10個も20個も趣味を持つ必要なんてないのです。

1回の人生で2,3個の趣味を持っていれば、十分に100年は楽しめます。


そのため私はろう者ですが、普通に人生楽しんでます。

ろう者であり弱視視覚障害者ですが、障害が悪化するたびに生き方を変えているため、人生どんと来い!と、いつも思っているのです。


自分の障害の不平不満を嘆くのではなく、体が動いたときの、聴こえていたときの自分といまの自分を比較するのでもなく、いまの障害状況でできる最大限の楽しみを見つければいいだけなのですよ。

人生はシンプルなのです。どうせ人は全員いつか死ぬのだから。

体なんてただの消耗品に過ぎません。