障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

労働者の成長と自信について

15年程前、私は東証一部企業で、非正規社員として4年間働いていた。

サラリーマンで、ほとんど単純作業の仕事だけだったけど、社員はみな優秀で、職場環境も快適であり、沢山ボーナスが支給された。


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ネットでは、ベンチャー企業に入社しよう!とか扇動するアホが多いですが、実際には大企業のほうが法律も遵守していて、ルールも守り、残業代もボーナスも支給され、社員に優しい労働環境が実在している。


大企業で働いたことのある人間は、それを知っているのだ。


その会社のすぐ傍には吉野家があった。直ぐ傍って言っても300mくらい離れていたが、私は晩御飯をそこで摂ることが多かった。


独身だということもあり、家に帰って食事の準備をする時間がもったいないと感じていたためだ。


ある日、その吉野家の店舗に新人さんが入社した。20代中頃の男性アルバイターである。


その労働者は、震える手で私に注文を聞きに来た。頭をぺこぺこ下げて、一生懸命に労働していた。


努力する姿、労働する姿勢というものは、美しいなと私は思っていた。経験が足りず失敗が多いからこそ、努力でそれをねじ伏せているのだ。


誠実な対応だったため、少し感心し、自分も仕事頑張ろう!と思ったほどである。


3週間後、その店舗に再び訪れた。そしたら、その店員さんは仕事を覚え、テキパキした動作で注文を取りに来た。


もう震える手なんかしていない。表情も自信に満ち溢れている。


毎日同じ仕事をしていたから、体が勝手に動くようになったのだ。マニュアル化された仕事を完璧に覚え、楽しそうに仕事をされていた。


労働って良いモノだなと私は思った。これが労働者としての成長というものである。


日本社会はなぜ、「報われない社会」と言われているのか?


それは労働者の成長に賃金が正比例しないためである。非正規社員では賃金が上昇しないのだ。


たくさん仕事をしても、一生懸命に接客しても、時給には上限があり、段々努力が報われなくなってしまうのである。


当時の私も同じだった。非正規社員では賃金がある一定のところまでしか上昇せず、それ以降は伸びていくことがない。


それに、ホワイトカラーの非正規社員の場合、責任ある質の高い仕事にありつくことはできない。


どうすればいいのか?


労働に対して質を高め、これ以上賃金が上がらないというところまで来たら、体力を温存しておき、家で勉強すればいいのである。


仕事は誠実に努力する。沢山働く。それでも余裕を残しておく。


その余った体力で、家で「ものづくり」をすれば良いのだ。家で毎日2-3時間ずつプログラミングして、JAVAでもjavascriptでもいいので、好きな言語を覚えていく。


ゲームでもWebサイトでもブログでもなんでもいいので、作りまくる。ユーチューバーでも問題はない。


社会に対して、社会が喜ぶ価値を提供さえすればいいのだ。


専門性がある一定の水準以上に達すれば、人事部の社員からコイツを雇えば金になる。会社の業績がより良くなるはずだ、と思ってもらえる。


その水準まで昼間は仕事をし、夜は自分のスキルを磨き抜けば良いのだ。


そうやって、自分が正社員になった頃(いまから10年も前の話だ)を思い出していた。


私が初めて正社員になったのは、上京して10年後の28歳のときである。専門性が一定の水準に達すれば、正社員として雇われることができる。


あんまり難しい話じゃないんだけど、日本人で実践している人は、とても少ない。非正規社員だと嘆き、嘆くだけで、努力していない。情熱的に生きてはいないのだ。


努力している労働者は少数派だ。ライバルは極めて少ない。よって、お得だ。


沢山の仕事をし、お給料を貰い、夜はコツコツと専門性を磨き上げる。とても自己啓発的で、生産的で、素晴らしい日々だと思っている。