障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

ブログで何を書けばいいのか分からないなら、好きなこと書けばいいじゃん。

ブログが書けないってよく聞くけど、好きなことを書けばいいんじゃないの?


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今日の私のお昼ご飯は200円のゴミ弁当だったぜ!


クソ不味かったぜ!だが、完食したため、自分が誇らしいぜ!!


明日も明後日も職探しでめんどくさくて生きるのもめんどくさくて、もう体も悪いしでですね、生きるのどうでもいいやと思っているけど、別に首を吊ったりしたいとは思わないんですよね。


なぜかって?


それはブロガーという職業が「努力が報われる数少ない職業」だということを知っている為ですね。


毎日毎日記事を書いて1ヶ月前のアクセス数の3倍まで毎月増加していて、書けば書くほどGoogle先生に評価されて、リアルではあなたは体が悪いから仕事を探すのは難しそうだとか

要するに遠回りにあきらめろと言われている訳だけれども、


そうやって不合格・不採用で肩を落として家に帰ってくるとですね、今日もアクセス数がうなぎ昇りで、馬鹿みたいにアクセスされていてですね。


Google先生や読者様は私の体のここがだめだ、そこがだめだではなく、良いところ、長所をいつもいつも見てくれている訳です。


だからブログは「努力が報われる職業」なのです。毎週アクセス数が過去最高を記録し、いつも私を評価してくれる。


まるで自分が褒めちぎられているみたいで少し恥ずかしいですが、文学的センスを慇懃(いんぎん)に発露させて、総科の文学を発揮して、流麗な日本語を執筆できたらいいなといつも思っている訳です。


お前の体はここがだめだ、そこがだめだとリアルの人間は私を非難します。だけど、ネットの人たちはお前の文章のここが良い、あそこが良いと、いつも褒めてくれるのです。


それならもっと努力してより良い文章をネットに公開したいというインセンティブ(意欲)が働いたって、おかしくはないはずです。


だからいつも質の高い日本語が書けたらいいなと思っているわけです。


読み終えた後、論理的で語彙が凝縮されていて、読後の爽快感とそして何より役に立つ社会科学の知見を人に伝えることができたら、これ以上の喜びがどこにあるのでしょうか?


誠心誠意、精一杯の文章力で一生懸命に社会科学と人文科学について、ただ執筆していくだけで評価されてしまうのです。


これ以上に高い幸福感など、そうそうあるものではありませんよ。だからブログを私は執筆しているのです。


できたら、高尚で勇ましく、そして正しい大人として、生きていけるように。


偏差値で人を判断するような軽薄で薄っぺらい思想も、学歴で人を判断するほど程度の低い人間哲学もございません。


私との会話とは筆談での会話のことですので、ただただ文章力のみで人の人間性を判断している訳なんです。


学歴・職歴・宗教・性別・年齢を問いません。センテンス(文)の質がすべてです。


私の琴線に触れるような上質で慇懃(いんぎん)な文章であれば、それをもっと読みたいと思うようになるし、自分もそういう文章が書けたらいいなと思ったりもするものなのです。

ただそれだけです。


こんな感じで、別に何か書きたいとかでなくても、読書さえしていればいくらでも文章は書けるものです。


論文を書く場合は論理の組み上げと知力を行使しますが、散文であれば日記形式でも何でもよく、そして書けば書くほど文章力が高まり読者さんが増え、そしてGoogleからの評価も高まるようにできているのです。


爆発的に大量に努力するだけでブログの評価はどんどん高まっていくのです。全部独学で大丈夫です。


何を書けばいいのか迷っている人は、思考を整理するためにも書きたいことを「下書きモード」で書き出してみてはどうかと思います。


最初は稚拙でも散文でも構わない。書いて行くうちに思考がまとまり、自分の書きたいことが見えてくるものです。


書けば書くほど、自分の書きたいことが明確化されてくるものです。


悩んでいるときも、思考を緩やかに脳内で展開するのではなくて、紙に書き出してみたほうが自分が何に悩んでいるのかがすぐに理解できるはずです。


読むことと書くこと。この2つだけ抑えておけば、大量の時間を使ってさえあげることができれば、ブログで何を書けば良いのかが必然的に見えてくることになると思います。


新人ブロガー諸氏の健闘を祈ります。


綺麗な言葉を使いたいなら、美文書きの作家の小説を大量に読むことをおすすめします。


芥川龍之介みたいな美文書きの文章を大量に読み込んでおけばいいと思います。ただそれだけで、自分も綺麗な日本語が書けるようになるよう人間の頭脳はできているのです。