障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

サラリーマンブログの共感とかいらない件について

前にイケハヤさんがサラリーマンブログはつまらないと言ってたけど、つまらないというか、存在意義がないように感じます。


☆☆☆


サラリーマンブログの「こんなとき、ぐっと耐えないとね!」とか

  きもすぎるわwwwwww

と感じてしまいます。


そもそも、知性を行使していないから耐えているのですよ。知性を使っていたら、普通に事業を興しますよ。


サラリーマンブログが「共感」をテーマにしてブログが書かれているのは分かりますが、読みたいとはまるで思えません。


サラリーマン自体はすごく真面目な方が多くて、尊敬に値します。基本的に日本のサラリーマンは優秀であり、真面目です。


黙々と労働にいそしむ姿は、世間が言う「かっこわるい」とは180度異なった、まっとうな大人という印象を受けます。


少し疲れきった表情をしている人もいますが、それは上司からの無理難題も仕事として長時間労働することで成果を出してきた証であり、悪い印象が全くありません。


でも、サラリーマンブロガーは別です。

  辛いとき一緒に耐えようねっ!

とか、きもすぎるわwwwwww


と、なってしまいます。ここで問題が一つあり、それは、私が気持ち悪すぎてサラリーマンブログをほとんど読んだことがないという事実です。


読んだことがないため、批判することはできません。その行為(読んですらないのに批判するという行為)は、私のなかでの正しさに反するため、批判することはありません。


だけど、読む気すら失せてしまうのです。なぜなら、辛いことの共感とは、「互いに傷を舐めあう行為」だからです。

そこからは何も生まれません。生産性が0なのです。


私がサラリーマンに伝えるテーマがあるとしたら、それは「勇気」です。どうすれば、日本のサラリーマンの所得を上昇させることができるのかや、どうすれば自由に毎日楽しく仕事ができるのかなどを執筆することで、彼らを元気づけることのほうがブログのテーマとしては適切であると考えます。

  ここは耐えようねっ!

とかウザすぎて書けません。


耐えないでもお給料もらえるようにどうやって専門性をたたき上げるのか。


辛くても耐え忍ぶことが美徳なのではなく、辛いことを減らして、自分で仕事を選べるだけの実力を身に着けるには、何をしたらいいのか?


それらを私だったらブログのテーマにすると思います。そのため、共感を主題に置いたサラリーマンブログは読む気すら失せる書物であると考えています。


自分が書きたいことは、日本人の労働者全員がフリーランスとして働くにはどうすれば良いのか、です。自分で仕事を選び、好きな仕事以外俺はやりたくない!


という人が普通に食べていける、特に若者の過労死の存在しない、毎日ストレスを溜めずに生きていける社会こそが、理想の社会であると考えています。


洞穴のなかで傷を舐め合うという行為に創業者兼障害者の私は、共感が持てないのです。


人が自由に生きられるために、他者に勇気を与えられるブログを執筆できたらなと考えています。