障害者新聞

目と耳の障害者が作った新聞です。社会の本質を書いています。

スキルアップやキャリアアップのために、長期の目標は立てたほうが良いのか?

古来より、日本では「一年の計は元旦にあり」と言う。

新年を迎えた元旦にこそ、1年間の長期的目標を立てるべきだ。ということわざである。


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そしてその長期的目標という地図を持ち、たとえば今年は簿記1級を取得し決算書作成業務に携わるぞ。

とか、販売士の資格を取って、フロアマネージャーに昇格するぞ!など、自分の進むべき道をブレずに真っ直ぐ明確にし、その技能のみを磨き抜く行為は社会科学(世の中の論理性)にとって、果たして適切なのだろうか。


その昔、ソフトバンクグループの孫社長は、新入社員に対し、社会人になったらまず「登る山を決めろ!」「登る山を決めることで人生の半分が決まる」そう仰った。

この山とはなんだろうか。山とは職業人生における専門性のことである。


経済学的に現代社会のゲームにおいて、山とは一度登ったら降りれないもの。そういうゲームである。

これは暗黙の了解なのだが、理解されてないことがあまりにも多いため、空気を読まずに執筆する。

正確には、一度登ってしまい、やっぱり別の山に登りたいとなったとき下山しなければならない。


下山するとレベル1にリセットされる。

そして高所得者の道とは、1つの山を頂点まで登り切ることと同義である。これが現代社会の暗黙のルールである。


たとえばの話だ。医者という山を登るとしよう。

この場合、10代の終わり頃に医者の山を目指すと決める。その後、医大へ行き、研修医になり、新人医師になり、ベテラン医になり、開業医となる。そして地元でトップの名医となる。

どんどん山を登っていくわけだ。これが医師という名の山である。


もしも50代になり地元の名医というジョフに就き、名医としての名が売れ、院内は常に患者で満員であるとする。

研修医の頃と比べたら最高の高所得者である。


しかし、そこから下山したらどうなるだろうか。たとえばだ。ほんとうは医者ではなくプログラマーになりたかった。

パソコンが大好きだったけど、偏差値が高く、親に医者になれと言われたから仕方なくなった。自分を殺し50代まで医者として働いてきた。


受験生から医大生、そして研修医、新卒医、ベテラン医、開業医とたった1つの山を登り詰めることでスキルと所得を増やしてきた。

だが、ほんとうはプログラマーになりたかった。もうお金には困っていないし、50代で医院を息子に任せ、自分はプログラマーになる。

と下山したとする。職業人生の道とは専門家になる道だ。


名医という山を下山しプログラマーになったとする。この場合、あなたは医者レベル99からプログラマーレベル1に転職し、没落することを意味する。

当然、所得はリセットされプログラマーレベル1の低所得者になる。年収は300万円程度まで落ちる。元名医の高所得者なのに。だ。


要するに職業人生とはこういうことだ。

現代社会という名の就職ゲームは、まず登る山を決める。そしたら人生を懸けてそのたった1つの山を山頂まで登り切る


下山したらレベルは1に逆戻りである。

名医がプログラマーとしてソースコードを書けるようになってハローワークで求人を見つけて就職すると、プログラマーレベル1の求人しか応募できない。


実際には中途の高所得求人にも応募できる。しかし、経験・技能共にない50代の未経験プログラマーである。すべて落とされるだろう。

プログラマーレベルは1なのだから。


そして運良く内定できたとしても、所得は名医という元のジョブの10分の1程度に落ちる。

なぜならあなたは名医という山を下山したためだ。プログラマーという山の麓(ふもと)に、いま、あなたはいる。未経験者歓迎の低所得求人しか内定できない。


麓にいる人間の所得は少ない。そして、医者という山、弁護士という山、プログラマーという山(頂点はハッカーとかギーグとか神とか言われる)、それぞれ山には頂点がある。

頂があるのだ。


登りたい山を見つけること。そしてその山に登ると決めるだけで人生の半分が(職業人生のほぼすべてが)決まる。

世の中がクソゲーと言われる所以は、これを知らずに社会に出てしまい、ただただボウフラのように漂流し、漂っているだけの人間があまりに多い(山を登ろうとすらしない人間、山の存在すら知らない人間があまりにも多い)ためである。


本来は学校の先生か親御さんが教えるべきなのだ。

しかし、親に成功体験、職業人生において山頂まで登り詰めた経験がないため、社会のルールとゲームの攻略方法を知らずに生きている。だから仕方がない。


ここから少し複雑なゲームに移る。なぜなら、社会のゲームはこんな単純ではないためだ。いつも通りミクロ経済学の最高峰、ゲーム理論を使っていく。

このゲーム、山に登る人間(あなただ)は本来一人ではなく、隣で登山している競争相手もいる。他のプレイヤーとしては、山の山頂にいる人間の影響も受ける。


人間は他者と影響し合っている。

要するにこのゲームはもう少し多人数ゲームであり、個人の戦いという簡単なゲームではない。


また、山のあるゲームと山のないゲームもある。だから社会は複雑・怪奇で面白いのだ。

それらは一体何のことだろう?

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