Twitterやってたとき、よく死ね障害者!と言われ落ち込むことがあった。
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なんか日常のツイートで、この政治家は悪い奴やな。
贈収賄とかやるなや。クズめ。
とか書くと、いきなり殴られるのだ。
なんでいきなり死ね!とか言うの?落ち込むんですけど、と思っていた。
嫌がらせが多いためTwitterは辞めたのだが、その後もTwitterでの出来事についてずっと考えていた。
なんで誹謗中傷を書くのかそのメカニズム(論理性)について知りたかったため、考察していた。
(この記事はnoteで有料記事として書くつもりだったのですが、無料で提供します。
理由は下記で述べます)
なぜ、私は障害者死ね!とか言われたのか。
理由は2つある。
一つ目の理由は、人文科学的な因果関係があるためだ。
先月、東京都台東区の簡易宿泊施設で殺人事件が起きた。
これだ。
■台東区の殺人事件
出典:東京新聞(https://www.tokyo-np.co.jp/article/91502)
28歳の男性が斜向(はすむか)いに宿泊していた、55歳の男性に顔面などを刃物で斬りつけられ、殺害された。
28歳の男性は、なぜこんなに若くして死なねばならなかったのか。
簡易宿泊施設は基本的にオンボロの木造の軒家である。
その木造の建物で55歳の被告が、音を立ててとてもうるさかったから、うるさいぞ!と若者が正論を言ったのである。
相手が騒音を出すという悪いことをしていた。
それを正す、ネット民が大好きな正論である。正論として55歳の容疑者にうるさいぞ!お前!
と言ってしまったのである。
すると55歳の容疑者はついカッとなって刃物で若者をめった刺しにし、殺害したのである。
若者は騒音という被害を受けているだけだった。何も悪いことをしていない。
しかしそれを正論で正そうという選択をしただけで、命が失われ、もうこの世にはいないのだ。
先月、神奈川県鎌倉市の路上でも、18歳の青年が大音量の車にうるさいぞ!
と言っただけで殺害され、その若い命を落とした。
これもまた相手が車の窓開けまくってガンガン騒音鳴らしてたから、正しい行為(正論)としてうるさいぞ!
と相手の非を正すことで相手がカッとなり殺害されたのである。
ここまでで正論大好きなネット民なら2回は死んでいることになる。
ゲーム理論的に見ていこう。
この2つのケース、若者にはどのような選択肢があったのだろうか。
それはこの2つだ。
- 騒音があっても耐える
- 騒音を正論を持って正す!
どちらの若者も正論側を選んだため殺害されてしまったが、ほんとうはもう一つの選択肢があった。
それは騒音に耐える、何も言わない、相手を批判しない。
という行為である。
そしてちょっと嫌なことがあっても怒らない、温厚で前頭前野(おでこの奥にある一番高性能な脳)の制御機構が
怒りを制御できていれば、それなりに高い知能があれば、怒ったりはせず、少しの嫌なことに目を瞑れば、長くこの世に生きていられたのである。
老人はすぐカッとなると言われる。それは脳が老化しているからだ。
脳の老化で一番最初に機能が低下するのは前頭前野のため、自分がもしイラッときたりカッとなった場合、自分の脳が老化していると見て良い。
この2つのケース、正論はなぜ通じなかったのか。
理由はとても簡単だ。
正論というものは相手ではなく、自分を律するためにある道具だからである。
たとえば、毎日3時間勉強するという高い目標を掲げた。
しかしスマホのゲームがおもしろくて止めることができない。
1日くらいサボってしまってもいいじゃないか?
明日からでも良いじゃないか?
と甘やかそうとする怠惰な私が現れる。正論というのはここで使うべきものなのだ。
己の怠惰な精神性を、正論でもって叩き潰す。他者に使い、他者を殴るのではない。
正論とは己を殴る道具なのだ。己が正しくない。
いまの私は正しくない。ならば己を正論という名の魂の鉄槌によって正すのだ。
己を殴るツールを、正論を他者に適用させたからこそ、そして他者を殴ったからこそ、大きな損害が起きたのである。
覚えておこう。自分という人間が動かせるのは、あくまで自分だけなのだ。
他者に希求してはいけない。他者を動かそうと努力してはいけない。
社会が障害者差別のない国になるように努力するとか、そういうの無理だから。
そうではない。正論は己を律するためにあるのだ。
お前は毎日3時間勉強すると言った。
ならばそれをしなければいけない。自分で言ったことを自分が履行せず、なにが魂の鉄槌か!
こうして己を律する道具こそが正論なのである。
他者は他者のルールによって動いている。
だから他者に自分の正論を適用させても何も起こらない。響かない。琴線に触れないことのほうが多いのである。
自分の正論を他者に適用しても他者は他者個人の正論があるため、決して動いてはくれないのだ。
他者を動かすなんて行為はおこがましいのである。
Twitterやってたとき障害者死ね!とか言ってきた理由はもう1つある。
それは私のツイートがとても無様だったからである。
特に政治関連のツイートをすると障害者死ね!と言われるのだが、どう考えてみても過失は私にある。
この政治家はクズやな。くらいならまだしも、こんな政治家ばかりでは日本なんかもう終わってるよ!
などと言う低度なツイートを見た人間が気分を害したのだと思う。
怒りという感情は上記の殺人事件もそうだが、リアクションの感情である。
うるさい!という注意がなければ怒ったりはしなかったというのは、うるさい!
という注意に対して怒りというリアクションが湧いたということである。
私がこの政治家クズやな、日本はもうゴミやな、終わってるよこの国!
などとイキッたから、それを見て日本が大好きな右派の方などが気分を害した。
そして私のプロフィールを見てこいつ障害者か。なら障害者死ね!
ということで死ね死ね言われたのである。
最初なんで障害者だってだけで、赤の他人から死ねとかクズとか言われにゃならんのか。
と思っていた。
しかし、心理学における人間の論理的パターンとして、相手が怒ったということは、その前に私がなにかをしたのである。
で、何をしたのかとずっと考察していたところ、自分が調子ぶっこいたことで相手が気分を害してしまった。
要は私が悪いと思い知ったのである。
そんなこと言ったら、インターネットなんてできないじゃん。自由に発言できないじゃん。
って思うかもしれない。
ならばなぜ、お医者様のツイートなどは荒れたりしないのか?
私も新型コロナウイルスについて知りたいから、この方のツイートをたまに読んでいるが、荒れたことなど一度もない。
インターネットを見ていると、例えばAKB48のアイドルとかすごい誹謗中傷を受けている。
でも、タモリさんとか北野武さんとか所ジョージさんとか、1億2,000万人に名が知れてるのに
まるで誹謗中傷などは受けていないのである。
なぜか?
なぜならAKBの人たちはお付き合いしている人はいません。
と公言しておいて、付き合っている写真を週刊誌に撮られてしまい、嘘を付いていたことがバレるからである。
よって、大金を注ぎ込んだ熱心なオタクやらファンに、怒りという名のリアクションを与えてしまったためである。
私はアイドルは交際するなとは言わない。
むしろたくさんしたほうがいいと考える人間だが、交際なんてしませんよ。
と言っておきながら、週刊誌に暴露され嘘がバレてしまったからこそ、それによって怒りという名のリアクションが
ファンの深層心理において、生まれてしまったのである。
タモリさんや北野さんは全国的に視聴され、晒されているけど、まるで誹謗中傷をされない。
それは彼らが相手の心を害する、気分を悪くする行為や発言を一切していないためなのである。
人間にとってね、一番大切なのは自分ではないのだ。
何をしたら相手は喜んでくれるのか、どんな記事を書いたら読者様は喜んでくれるのか。
この記事にある知見を知ったら、読者様のその後の人生にもお役に立てるだろうか?
と思考するものなのだ。
昔働いてた会社でかなり気心の知れた同僚から、お前助けられたら少しは感謝しろよな?
障害者とか関係なしに相手の気持ちくらい考えろよ。
と言われたことがある。法律や憲法を笠に着れば、障害者は他者を使役させることができる。
俺は耳が聞こえんからはよ筆談しろや!障害者様相手なんだから配慮は常識やろ!
と言うことができる。
言うことはできるしやらせることもできる。
だけどね、そのときの相手の表情を見てごらんなさいよ。
嫌々やっているから。クソ障害者がよ。って思いながらやってるから。
それってね、相手の感情を踏みにじっているの。
一番大切なのは私の気持ちではないの。私が楽したいという気持ちではないの。
他者の気持ちであり、相手の気持ちに立脚して物事を考えるのがコミュニケーションの基本なのである。
お父さんお母さんから教わったでしょ。
相手の嫌がることはするな。人の気持ちになって物事考えろって。
商売の基本はこれなのだ。そして友達作りやコミュニケーションの基本もこれなのである。
私はバカだった。バカでバカでバカだった。
そういうのいつも偉そうにしてたから知らなかった。
だって障害者になったあとなんでもかんでもやってくれていたから。
そういうものだと思っていた。
だけど違った。ある日、飲み会の席のとき、私の隣に座ってくれる人なんか誰もいなかった。
2時間の飲み会のなか一人で何も見えずなにも聞こえず、法や義務がないと、誰も私に近づいてはくれなかった。
信頼を失うと人は孤立すんの。相手の気持ちを踏みにじると、人は、こういう目に遭うの。
思いっきり自業自得。他者の感情を無視したのだから、孤立するのは当たり前だ。
人の気持ちを踏みにじるとはこういうことだ。
何かされたらありがとう!とお礼を言うのは、私のためではない。
相手が喜んでくれる言葉を無意識に選択して発しているだけに過ぎない。
こんなの処世術ですらない。人としての基本でしかない。
人間社会を生きていく常識でしかない。
ずっとひとりぼっちだったのは私の性格が悪く、クズだったためなのである。
他者に責任を求めてはいけない。律するのは常に自分なのである。
だって問題の本質は自分のなかにあるのだから。
で、タイトルのネット民は良い人すぎる。だが、昨日と今日だけで寄付金が9,300円も入りました。
毎月寄付からの収入は100円とか200円だったから、2日間で46.5ヶ月分!
約4年分くらいの収入が入ってしまったのです!!
ありがとうございます。ありがとうございます。
ネット民良い人すぎ。もっとタダで見てくれていいです。あと、金額少なくていいです。
多すぎです。
私は障害を武器に記事書いてるような生活保護者のガチクズだし、金額が多すぎます。
100円とか200円で収入の足しになるくらいで良いかなと思っていたため、とても感謝いたしております。
ありがとうございました。
P.S.
最初、寄付届いてますよっていうことを伝えたくて明細を貼ったんだけど、
それって寄付を助長しているように見えたため、画像を削除しました。
基本的にタダで見ていただけたらと思います。
だけどそれとは別に、寄付してくださった方ほんとうに感謝いたしております。
って言えます。喜んでもらえます!
ありがとうございました。